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自分自身を信頼しよう〜この世界に可哀想な人はいない〜

こんばんは。Vinoです。今日は早めにアップです。
はじめましての方へ。

今回は、なかなか刺激的なタイトルを書いてみました。
主に自分自身に向けてのメッセージですが、心に響く方がいれば嬉しいです。

先日、職場で自分の担当外の話だったのですが、乗りかかった船というのもあり、一人で全部処理したことが有りました。

その様子を見ていた職場の人間が、

「Vinoさん可哀想ですね。ホント関係ないのに可哀想。きっと良いことありますよ。前向きに!」

と、笑いながら話しかけてきました。

カワイソウという言葉を発しているのに、笑うっておかしくないか?と、その人の言葉に違和感をぬぐえませんでした。

実際、あれこれ言う割に、全く手助けしようという素振りは有りませんでした。

余計なトラブルには加担したくないけど、良い人でいたい、相手を下に見ることで優越感を感じたい。自分じゃなくて良かったと安心したい。

そんな様子が見えてきました。

他にも困ったことが起きて、その人が助けるから何でも言ってと言うので、簡単な作業を依頼したら、少し戸惑ったような表情を見せて来ました。

あれ?力になるって言うからお願いしたのに、何か変だぞ?

その時も違和感を感じたのですが、今回の出来事を通して、あぁそうか、この人、口だけの偽善者なんだな、と思いました。

周りに良い顔したいだけで、実際、手伝う気はない。
だから、どこかこの人のことを信用しきれない感じがあったのだと気づきました。

昔、安達祐実さん主演の有名なドラマ「家なき子」というのが有りました。

ドラマの中に「同情するなら金をくれ!」と叫ぶシーンが有って、まさに、今回の事例だと思いました。

他人に対して可哀想と言う人ほど、実際、何もしないのを目にします。

そういうときは、もしかしたら、自分が身を置く場所を間違えている可能性も大いにあります。

蓮の花なのに乾燥した土地で植えられたり、逆に、サボテンなのにジメジメした土地に植わっていたら思うように育ちません。

人間にも自分の能力が適切に開花する土壌があると思うのです。

本当に気の毒に思って力になりたければ、人は行動に移し、何かしら力になろうとする生き物だと思います。

だけど、もし、それが、自分より可哀想な相手だから力を貸すという心理が背景にあるのだとしたら、それは、相手に対して本当に失礼なことだと思いました。

でも、同時に、相手の力を信頼する気持ちを持てるのは、自分のことを心から信頼して生きていなければ、難しいとも思います。

この世に可哀想な人はいないと思えるくらい、自分自身を信頼出来るようになりたいです。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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