会社アレルギー

もうすぐ休職してまる一ヶ月が経とうとしているので、そろそろかと思い部長にメッセージを送った。「休職延長しまーす!」という私の簡素な内容に対し、「ゆっくり過ごしてくださいね」というような温かなメッセージに少し安堵した。
思えば会社に行く朝、だりぃなとか休みて〜!ととかいう感情は誰もが経験したことがあると思う。それでも休職しようかどうかという間、その感情はもはや諦めというか、確固たる決意みたいなものになる。どうしようかな、というためらいより即座に考えるのを止め、「あ、無理」と即座に脳内会議が終了する。
休んだら周りに心配される。任せられた仕事が遅れる。遅れたら進捗状況を伝えるのが億劫になる。足かせとなるものはいくつもあるが、休職を決めたらそんなことはどうでも良くなった。実際に私が仕事に行かなくなったせいで業務が滞った部分はあるだろう。けれど、「行くな」と脳が言司令を出しているのだ。私の脳がそう言うなら仕方がない。これにはもう抗えなかった。
思えば、これはずっと我慢していたりしこりになっていたことが積もり積もった結果だ。
現状をよく思わないなら自分が動けば良い。そして変えていけば良い。恥ずかしながら4月の私は仕事に対して謎の自信と未知への期待に満ちていたように思う。そんなものは諸刃の刃だった。
変わらない環境をどうにか変えようと躍起になっても始まってみれば結局動き出せない自分がいたし、何より自分のポリシーに反することをやり続けたことで慣れが生じた結果、自分のことが嫌いになった。
ずっとそう思いながら9ヶ月間を過ごしていた。
同時に気付きもした。なんだ、私のしたいことってちゃんとあるじゃん。それが大事にできない職場なら、私には合わないということなのだと。
自分の中でも許せないラインと、まあ妥協できるラインは何となくあるものだと思う。そこを言語化するのは難しく、特にそりの合わない上司に思いを伝えるのは苦手だった。

きっと、いや間違いなく私のやり方にも問題があった。ちゃんとスケジュール管理をして、周りとコミュニケーションがとれていたら。もはやそれかできる状態ではなかったのだけど。
積み上がってきた違和感を前に、腕を組む黒い影が「もっとこうすればいいじゃん」と私をあざ笑う。それができなくて、鬱々としたこの思いは誰にも言えなかった。
孤独は人を駄目にする。仕事に関して、もっとこうしたいよね、きっとこんなやりかたがあるよね、と周囲と本音で話し合えていたら、こうはならなかったかもしれない。各々の仕事を各々のデスクでこなす。当たり障りのない冗談を交わして、美味しいお菓子があったら分け合う。でも私、お菓子なんて、どうでも良かった。デスクの引き出しはもらったそれらでいっぱいだった。引き出しを開けるたびにうんざりした。これだけあっても、コミュニケーションとはいえなかった。思いやりだったり優しさは感じられたけど、それだけだった。私がもっとこうしてれば、のゾーンに入るときりがない。

そんなこんなで、今はさっさと自分のデスクから荷物を引き上げて一掃することばかり考えている。人気のない時間を狙って行くつもりだから、まるで夜逃げ気分だ。周囲に菓子折りくらい配って去るのが礼儀なのだろうが、あいにく顔を見たくない人が多すぎてどうしようか悩んでいる。でも多分周りは何も悪くない。ただ、周りのことを考えると動悸がする。私の脳がそう言うのだから、仕方がないのだろう。(ここについてはもう開き直ってる)
普通は、とか、常識とか。足枷になることは多いが、3月末までの長い休みを取得するために、明日職場に電話をしてクリニックから診断書を貰わなければならない。一仕事終えたらまた考えよう。