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自転車の時間

自分の身体より大きいものに包まれ、感覚に浸る。幸せの形は数あれど、それも幸せのひとつであることは間違いない。それは酒を飲んだ時のような、一過性の高揚感。高校時代は海で満喫していたが、海なし県に引っ越した今はそれが自転車になった。

4車線の大きな国道の両脇に走る、広い歩道。目には見えない緩やかな下り坂を、くるくると足を回しながら駆け抜けていく。その時に私を包む大きな風が頭のなかの日常を吹き飛ばすのだ。

片道10分漕ぐと病院で、40分漕ぐと駅。25分を過ぎたあたりから、街路樹は弱気な銀杏から尊大な欅に変わる。冬の厳しさを含んだ秋の柔らかな西日は、欅の枝々をすり抜けて私を照らす。自分のシルエットの横にある木漏れ日を見ても、黄みのかかった白い輝きをたっぷりと含んだ欅の葉の群衆を見上げても、秋は美しい。

季節が進むと日も短くなってしまう。午後の散歩代わりに家を出たつもりが、駅から帰ってくるとだいぶ暗くなる。

風が寒さの棘を帯びるようになった夕方、信号待ちでふと左を見ると空が赤くなっていた。そこには山のシルエットと50と書いてる丸い標識。山脈と車社会、私の歴史にはない異物だが、それを超えてくる強烈なノスタルジー。ノスタルジー、一人で少し遠回りをする、海に行かない日の帰り道。

別にあの時期には帰りたくはないのだが、肌寒さと駅に向かって活気を帯びていく周囲とともに静かに高揚するあの時間の追体験を、身体は求めた。

信号が変わり、それを振り払ってまっすぐ道を漕ぎ出す。家までの十数分で日常に戻っていかねばならない。

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