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学校現場より 〜境界性パーソナリティ症の疑いのある女子生徒との出会い〜

 みなさん、こんにちは。
 今回は私が養護教諭として中学校で出会った少女のことを紹介します。なぜ彼女のことを話そうと思ったのか、それは、あるテレビドラマで丁度「境界性パーソナリティ症」をやっているのを見て、「あぁ、あの子に本当にそっくりだ」と思ったことがきっかけです。
 ただ、今回のお話でご注意していただきたいのは、彼女は当時、境界性パーソナリティ症と診断はおりておらず、今回はあくまでに私の主観で症状が似ているなと思っているだけだということです。その点をご理解くださいますよう、よろしくお願いします。



女子生徒Aさんとの出会い

 Aさん(以下、A)との出会いはとても衝撃的でした。
 みんなが真新しい、少し大きめな制服を身にまとっている入学式。他の儀式的行事と同様、細かなところまで教員の役割がたてられ、数分単位のタイムスケジュールが組まれている、学校としては5本指に入る重要な行事です。私も他の教員と同様、自分に与えられた担当の仕事に奮闘していました。
 実は私はこの年の春から育児休暇から復帰していて、今まで休んでいた分、学校、生徒、そして家族のために頑張って働こうと気合が入っていました。 
 そんな中、新入生の受付を担当していた教員が慌てた様子で私を呼びに来たのです。その内容は、入学式を保健室で過ごしたいと言っている新入生と保護者が保健室にいる、ということでした。
 私は驚いて慌てて保健室に向かいました。すると保健室に入口のドアから一番近い3人掛けのピンク色のソファに、制服とセレモニースーツを着た母子が座っていました。
 Aは肌が白く、髪もしっかり手入れしているのが分かるほど綺麗な女の子でした。
 簡単な自己紹介の後、私は保健室にいる経緯を尋ねました。するとAはきょとんとした顔で「小学校から何も言われてないんですか?」と聞き返してきました。私達は小学校から彼女に関しての情報は”不登校”ということのみで、入学式などでの配慮が必要かどうかは聞いてはいませんでした。また、これはその後わかったことですが、入学式の配慮については、A本人も家族も何も小学校には言っていませんでした。「不登校なのだから配慮してくれるだろう」という彼らの一歩的な考えだったのです。
 そんなAですが、話をしているうちに開式時間まで数分と迫っていました。私は再度、入学式には参加できないかを確認しました。彼女の答えはNOでした。私はそれまで何も口を開かなかった母親に入学式の間、保健室にいて良いこと、式の後に担任と会って欲しい旨を伝えて保健室を後にしました。

Aとの時間

 バタバタの入学式以降、担任と私、そしてAと話し合い、Aは学校に登校できた際は保健室で過ごすことになりました。ですが、小学校からの数分の引き継ぎだけでは分からなかった彼女の特性に戸惑うことになっていきます。
 彼女は小学生の時からリストカットの常習者でした。中学生になってもそれが止められる訳もなく、かなりの頻度で手首に傷を作ってきました。リストカットをはじめとした自傷行為を止めさせてはならない、当事者が感じたストレスを解消する他の手段を見つけよう、というのが当時も今も基本的な考えですが、なかなかそう簡単にはいかないのが現実です。
 更に彼女は日が増すごとにその行動1つ1つがエスカレートしていきました。アームステッチ、オーバードーズ、そして友人関係の構築の困難さです。前者2つは家庭に連絡し、医療機関につなげましたが。友人関係の構築の困難さに至っては学校内でのことなので対応が大変でした。
 例えば、保健室に来室した生徒と仲良くなり、当初は連絡を取り合うようになりますが、ほんの些細なこと激昂し、それ以降その生徒との関わりを一切絶ってしまうのです。それは1人2人に留まらず、トラブルを繰り返すうちに学年内で”わがまま”、”自分勝手”とレッテルを貼られていきました。この他者への激昂は対生徒に限りませんでした。私に対しても何度か向けられ、罵倒されることもありましたが生徒と教員という立場であるせいか、Aがそれきり保健室に来ない、ということはありませんでした。

進路選択

 中学校生活はあっという間ですぐに進路選択の時期がやってきます。Aも例外でなく、担任と高校進学に向けて話が進み始めました。
 Aはチャレンジ校やサポート校などではなく、普通高校を希望しました。そこで少しずつ教室で勉強する時間を設け、遅れている学習は塾でフォローすることになりました。
 彼女は元々の学力はあるほうだったため、遅れはどんどん挽回していきました。教室での友人関係にはまだかなりの課題はありましたが、高校生になるという彼女の強い希望でなんとか繋がっていけました。
 受験の結果、彼女は公立の高校に無事合格しました。その頃には保健室に来ることもかなり減っていて、彼女の合否もAの担任から聞きました。その数週間後に行われた卒業式も笑顔で走り回る彼女を私は遠くから見ていました。ベッタリとくっついていた入学式当時とは全く異なる姿に喜ばしくもありました。その一方で、彼女の最後までの課題である人間関係の構築の困難さが結局解決することができなかったのが残念なことです。
 また、後日談になりますが結局Aはせっかく合格した高校を数ヶ月で自主退学しています。理由は分かりませんが、それに人間関係が絡んでいるのだとしたら尚更、残念に思います。

振り返って

 17年間の養護教諭の中でおそらくAが1番一緒に過ごす時間が長かった生徒になると思います。長かったからといって彼女との関わりが最良だったとは決して思っていません。現にリストカット、オーバードーズ、人間関係が構築できないなど課題が山積みのまま卒業させてしまいました。彼女が中学を卒業してから10年近く経ちます。Aが今どんな生活をしているのかは私には分かりません。ただ、遠くで願うだけです。
 今回は私は彼女のことを勝手に境界性パーソナリティ症だろうと思って書かせていただきましたが、何度も言うように確定しているわけではありません。実際に境界性パーソナリティ症と診断され日々過ごされている方々でもし気分を害された方がいらっしゃいましたら深くお詫び申し上げます。


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