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貧しさのバラエティー
今日は寝転がりながら庄司俊作『エコーする〈知〉格差・貧困の社会史』(クロスカルチャー出版)を読んでいた。卒論の核心部分にふれる文献ではないけど、戦後の貧困の発生・移り変わりを知るために読んでおこうと思って。
著者は「戦時」(先の大戦時)を、平時であれば下層に追いやられてしまう人々(農民や職工)がホワイトカラーたちに並ぶ収入(闇米の儲けなど多少イレギュラーなものも含むが)を得てその生活圏に押し迫ってくるという点で、革命的・民主的な要素を持っていたのでは? と分析している。そして、「戦後民主主義」も、そのような戦時の民主化?の流れをくむものではないかという。なるほどー。国民の側に(とくに下層の人々の間に)「貧乏を一方的に押し付けられるのはごめんだ」という意識が醸成されていたから、さほど異和を感じることなく戦後民主主義を受け入れたのかもしれないですなぁ。戦後すぐの時期はエリートたちも組合運動に熱心で、それは戦争反対や平和運動の意識と相違ないものだった、というエピソードも(わたしにとっては)とても新鮮だった。かなり地味な本だけど、気になった本は読んでみるものですねー。
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そう、貧しさ。わたしは定期収入のない(父が不安症、社会不適応でほぼ働けなかった)家庭に育ったので「貧しさ」を一応は知っているつもりで生きているけど、そんなのも序の口というか、エグい状況になる人なんかもっといるのであまり自分を「不幸な人種」に数えないようにはしている。今日食べるものに困っているわけじゃないし、ビールだって毎日飲めているしね。
お金があるのに何故か機嫌が悪い人もいるし、無くてもニコニコしているひともいる。日本の「貧しさ」は相対的で、福祉の対象になるレベルに陥らない限り人それぞれの感覚で語られてしまうものだから難しい。わたしが貧しいな、と感じるのは、物質的なことではなく、「まったく譲る気持ちのない人」とか「貧しいわたしの方が世の中を知っている」みたいな傾向の人かなぁ。でもそういう状況(性格)に陥るまで何かしら苦労があったのだろうから、それには同情しないでもないけど。
あまり貧しさについての話(お金の話)をコン詰めてするのはよくないですね。政治の話と同様、居酒屋なんかで話すと大火事になる場合がある。「うちも大変なんですよ〜」って困った顔するのも、なんか日本人の特徴というか、(謎)マナーだしね。だからって謙虚がいきすぎて景気悪い話ばっかするのもやだし、わたしはできるだけ美味しいもの食べて笑ってたいなぁ、生きているうちは。あけすけに幸せでいる人の方が好き。まったくわたしの好みの問題ですけどね。