全然死んでもいいんですけど。
世の中が専業主婦に厳しくなって久しい。勝手にセレブ階級なキラキラ主婦を想像して怒っている人がいるようだけど、だいたいは(わたしのように)能力もなく華もなく、家の中に閉じこもっていることになんの苦痛も感じない枯れた観葉植物のようなおばさんたちだと思う。わたしからすれば、能力を活かして外で活躍しているほうが断然いいではないか、と思うのだけど、まあ専業主婦に石を投げる人にしてみれば、働いていないのに家という居場所があるのがムカつく、主婦は肩書きじゃねえ、死ね、ということなのだろう。それも突き詰めれば、主婦がどうこう以前に、給料が上がらないことへの怒りなのだと思う。だいたいの人の怒りは金が発端になっている。給料が上がれば、みんな主婦にも赤ちゃんにもお年寄りにも障害者にも穏やかに接し始めるだろう。わたしだって最低賃金が上がればいいと思っている。しかしこちらを睨まれてもどうすることもできない。
少し前からわたしもパートを始めたが、お給料は微々たるものだ。それでも自分のような無能力者を雇ってもらえるところは貴重なので手を抜かないで頑張っている。今流行りの「タイパ・コスパ」のことをことを考えれば家にいた方がいいような…という気持ちにもならなくはないが、仕事を引退した夫と長い時間過ごすのも苦痛なので外に出ている。介護、福祉系の仕事なので、短時間だけれども誰かの役に立てるなら、と思ってやっている。一家の大黒柱になっているわけではないのでそういう意味では気が楽だ。こういうパート勤務も、仕事で忙殺されている人からみたら遊びのように感じるだろう。今ではパート勤務は「仕事」に数えないらしい。とにかく正社員でない人は専業主婦にカウントされ罵倒の対象となる。毛沢東時代の中国共産党味があって日本もなかなかである。
そのパート代から、今月は福島の両親に3万円送った。昨年から、親の誕生日の月に10万、年末に10万、その他の月は2万ということで仕送りをしてきたが、親の年金が月4万しかないので流石に足りないだろうと今月から1万円増やすことにした。親がいつ死んでくれるかわからないので、仕送りをいつまですればいいか全くわからない。両親はかなりの貧困レベルだが、父が土地を手放さないことなどが原因で生活保護は断られてしまった。縁を切りたいがそうもいかない。主婦なんていいご身分ですねとやっかまれるが、そう言ってくる人にわたしの両親を預けてやりたい。
わたしは貧困と病気で昼間の大学を一度中退しているので、いわゆる「学生時代」があった人を羨ましいと思う。親に蓄えのある人やきちんとした職歴がある人のことも羨ましい。だからといって、そういうひとたちを一括りに罵ったりしない。人間の苦労は外からはわからないことのほうが多いのだから。
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今夜は夫が飲みに行っているので、居間を好きに使っている(極楽だ)。卒論の文献をもう少し読んだら、また YouTube をみて寝ようと思う。何だか今日は、一見平和なようで、自分の中の黒くうごめくものに引っ張られるような一日だった。