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ブイ・ティン先生への手紙

 以下は、拙作『喩義志 愛国勤労哲学文集』に収められている文です。

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1.1 先生へのご挨拶とご哀悼

 『孫(わたし)』と「孫(わたし)達(たち)四人」は、再拝頓首して、謹んで先生の祖先に敬意の念を示し、先生の一族や親族の方々、ご子孫・ご友人の方々のますますのご健康とご多幸を心より望み、そして、謹んで先生に哀悼の誠を捧げます。
 Bùi(ブイ) Tín(ティン) 先生、元ベトナム戦争の兵士であり、そして、元共産党員の孫(わたし)「Nguyễn(グエン) Hoài(ホアイ) Minh(ミン)」が五人を代表して、先生に手紙を送らせて頂きます。

 まず、先生に深謝申し上げます。先生の提言である「Bản(バァン) kiến(キィエン) nghị(ギィ) của(クゥア) một(モト) công(コオン) dân(ザン)」(一市民の提言)と、先生の著作である「Hoa(ホア) Xuyên(スゥエン) tuyết(トゥエット)」(雪割り草)と「Mặt(マット) thật(タット)」(素顔)を、中川明子先生と、出版社めこんの出版による日本語版の『ベトナム革命の内幕』と『ベトナム革命の素顔』で拝読、そして精読かつ味読させて頂きました。

 孫(わたし)がホー・チ・ミン主席への個人崇拝を完全に打ち破れた最大の要因の一つは、先生の著作のおかげであり、そして、『孫(わたし)』と「孫(わたし)達(たち)四人」の過去を顧みては、心の治癒と整理整頓を実現して、本格的にこよなく愛する祖国ベトナムに貢献する原動力をさらにより一層強めることが出来たのも、先生の著作のおかげであり、深謝の念に堪えません。
 孫(わたし)「Nguyễn(グエン) Hoài(ホアイ) Minh(ミン)」が生きていたであろう記憶の中で、ホー・チ・ミン主席の遺書とホー・チ・ミン廟に関することで、先生とVũ(ヴー) Kỳ(キィ) 先生のお名前とご活躍を、ほんの少しだけ耳にしたことがございます。先生方との交流はおろか、お会いすることが出来なかったことが、本当に残念でなりません。

 そして、博学篤志で温厚篤実・剛毅直諒な愛国者である先生が、晩年にて、祖国にいるご家族やご友人の方々と別れて、悲憤慷慨と憂国の情を以て、フランスに政治亡命をすることになり、そして、祖国の根本的かつ本格的な変革とそれによる改善・発展・進歩等を決して見ること無く、この世を去られたことに、孫(わたし)達(たち)は心を深く痛めております。Võ(ヴォー) Nguyên(グエン) Giáp(ザップ) 大将軍についても、同様に、孫(わたし)達(たち)は本当に心を深く痛めております。

1.2 先生への反対意見

 さて、先生、ここから本題に入らせて頂きます。
 先生は、ホー・チ・ミン主席のことを、㈠「マルクス・レーニン主義」をベトナムに持ち込んでしまった「迷い誤まった人」と評価され、それと同時に、㈡第一次インドシナ戦争と第二次インドシナ戦争を引き起こした戦争責任者と評価され、そして、㈢総合的に考察して、「ネガティブな人間」や「罪人」と評価されました。また、先生は、㈣ベトナムが「最初から」つまり「独立を開始した一九四五年」から、自由主義・民主主義・多元主義等を導入して実施していれば、祖国ベトナムは現在と大きく違い、遥かに良くなるはずであったと、お考えになられておりました。
 『孫(わたし)』と「孫(わたし)達(たち)四人」は、先生に多大な尊敬と感謝の念を以て、祖国ベトナムの国運に対する先生のご見解と、先生のホー・チ・ミン主席に対する評価に対して、愚かで不徳な者どもでございますが、謹んで、私見と自分達の経験を以て、反対意見を申し上げさせて頂きます。
 先生、歴史の巨人の国運に対する影響力は、確かに計り知れない程の絶大かつ深長なものです。ですが、万物万事は天命に因り、そして、巨人は、大いなる天命と国家の歴史・文化・性格等を総結集して出来上がった存在です。つまり、社会哲学や責任論等の観点から論じるのであれば、「巨人は歴史の原因」とも言えますが、自然哲学と天の観点から観ずるのであれば、「巨人は歴史の結果」ではないでしょうか?
 先生、ホー・チ・ミン主席もまた、「歴史の結果」であった一人の人間に過ぎません。一人の人間の責任を徹底的かつ公平で客観的に追及していけば、必然的かつ不可欠的に、その人の「境遇」や「背景」をはじめ、「社会」や「国家」に、「歴史」や「文化」等についても、追及に分析や洞察等をもしなければならず、さらに突き詰めていけば、「自然」についても分析や洞察等をしなければならず、そして、最終的・究極的には、「天命」についても、考えていかなければなりません。
 思うに、古代ギリシャ哲学の「哲人王」・儒教の「先王の道」・ヒンドゥー教の「カルマ」・仏教の「仏法」・アブラハムの宗教の「預言者」等から窺え(うかが)るように、「無責任に『善』や『正』を単純化かつ絶対化して固定化させては、ある対象に仮託あるいは放任して、自己判断や自己責任に、懐疑心や批判的思考、自力による挑戦や創造の必要性や重要性等を放棄あるいは破壊する。」という宿命的な欠点や弱点を、人類は背負わされているのではないでしょうか?
 祖国ベトナムの国家の標語は「独立・自由・幸福」ですが、誠にこれらの追求と実現を志すのであれば、礼賛するにせよ、誹謗するにせよ、「自分がもしその人の背景や境遇、立場や状況にいたら、どうなのだろうか?」という共感力や理解力等を養い育てては、「自分自身はどう何だろうか?」という肯定的な自己批判や主体的な自己認識に楽しく努め励んで、そして、「自分は何から出来るのだろうか?」という自発的かつ懐疑的な挑戦と、批判的かつ主体的な利他主義を実践していくべきであると、心の底から思っております。
 孫(わたし)達(たち)は、ホー・チ・ミン主席を礼賛する勢力と、その文献や活動、スローガンやプロパガンダ等を見渡してきましたが、そのほとんど全ては、意図的な無知や洗脳、隠蔽や歪曲、そして、利己的な目的による悪用に過ぎず、祖国にとって何の利益も無いどころか、害悪や危害に、多大な害毒を齎し(もたら)ております。
 ですが、逆も然りで、誹謗中傷する勢力と、その文献や活動、スローガンやプロパガンダ等を見渡してきましたが、そのほとんどは、社会に対する不満や激憤のはけ口、反社会活動や悪意のある扇動活動、歪んだ尊大な自己承認欲求や自己愛、そして、利己的な目的によると悪用に過ぎず、喧伝する情報が事実であるものの場合にしても、「正しい情報を世間に喧伝した」という点を除けば、祖国にとって何の利益も無いどころか、害悪や危害に、暴力の潜在的な要因を齎し(もたら)ております。
 孫(わたし)達(たち)の間違いや理解不足なのかもしれませんが、先生の言論を歪曲や悪用したり、先生とは違って、祖国のためではなく、自分自身の利益のみしか考えずに、先生に近付いたり、一緒に討論した者達もいたのではないないかと思います。孫(わたし)達(たち)の見解が本当だったとすれば、本当に残念であると同時に、不快極まりないことです。

1.3 先生への私見の説明

 先生、先生は、チトー大統領の方が、ホー・チ・ミン主席よりも確りとした独立の理念と思想があると評価されておりましたが、先生のこのご評価には、全体的に考えれば、孫(わたし)達(たち)もほぼ賛同いたします。ですが先生、広くかつ深く考察すれば、これは単なる個人の比較だけではなく、国家・民族・歴史の比較という話になります。ホー・チ・ミン主席には、数多くの重大な欠点・弱点・過失・罪過等がありました。ですが、我が祖国・民族、そして歴史にもまた、数多くの重大な欠点・弱点・過失・罪過等があったのです。
 かつて、ホー・チ・ミン主席をはじめ、共産党、そして、我が祖国と人民がマルクス・レーニン主義、社会主義、そして共産主義を過信や盲信、盲従や誤用していたように、先生もまた、フランスへ亡命後、個人主義、自由主義、民主主義、多元主義、そして、西欧(特にフランス)の資本主義等を過信や盲信するようになったのではないでしょうか?旧ユーゴスラビアの非同盟中立、東欧革命、カーネーション革命に、シンガポールの開発独裁、タイのチャクリー改革、日本の明治維新と戦後復興、これらは、何世紀に亘る歴史の中で積み重ねて来た計り知れない程の民族の奮励努力と博学多才の成果であり、そして、「国運」即ち「天命」です。これに対して、祖国ベトナムは、未だ未だあまりにも、寡聞浅学で浅学短才な国家であり、歴史であり、民族であり、そして、そのような「国運」即ち「天命」を背負った、不運で未熟な共同体です。
 個人主義・自由主義・民主主義・多元主義、これらは、本当に素晴らしい思想・主義・理念です。孫(わたし)達(たち)も、祖国ベトナムがこれらを完成させる時代が来ることを、心から願っており、孫(わたし)達(たち)がその要因の一つになることを願ってやみません。ですが、これらは、一九四五年、そして現在の祖国ベトナムにとっても、あまりにも理解不可能かつ実践不可能な「高邁なもの」だと思います。仮に、たとえ一九四五年から、これらを掲げたとしても、祖国ベトナムが大成功を収めて、現実の現在よりも遥かに、健全かつ有徳で幸福な国家を完成させることが出来るとは、個人的には、決して思いません。仮に、無理して理解と実践しようとすれば、現在よりも良い点や正しい道等と同時に、また別の多大な代償や犠牲に、数多くの災禍や惨劇等が絶対不可避的に起きます。
 これは、夢の記憶と経験を持った「孫(わたし)達(たち)四人」と、個人主義・自由主義・民主主義等に基づいている日本に長年住んで、日本を深く学んでおり、かつて技能実習制度の監理団体と日本語教育界の日本語学校で働き、そして今、ある医療サービスの会社と特定技能の登録支援機関で働いて、日本人とベトナム人、そして他の様々な外国人達と接している『孫(わたし)』の私見でございます。

1.4 結語

 Bùi(ブイ) Tín(ティン) 先生、『孫(わたし)』と「孫(わたし)達(たち)四人」は、「ホーチミン思想」を発展的かつ革新的に完成させて、祖国ベトナム、並びに万国・万世に貢献いたします。

二〇二一年七月八日(木)、Nguyễn(グエン) Hoài(ホアイ) Minh(ミン)・荷進・Tạ(タ) Hướng(フゥオン)・Nguyễn(グエン) Trọng(チョオン) Đức(ドゥック)・LVNより

2 THE NEW COOL NOTER

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