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『晏子春秋』

 大学時代、何度も何度も、中退を考えていた自分に、学問の立志に絶大な影響を与えた書物は、『論語』と『晏子春秋』であった。そして、人生で初めて、自分で稼いだ給料で購入したのが、この二つの書物であった。

 理論と実践の両立を重んじる孔子の言行録と晏子の言行録、そんな二人の孤高ながらも社交的な大志と、報われないながらも最期まで努め続けるその生き様に、深い感銘を受けた。

 晏子は、政界から追放された2年間と7年間、政界を引退した1年間を合わせて除いても、実に46年間以上に亘って、朝廷で粛正や善政に努め、各氏が権力を巡って争い殺し合う中、命懸けで一心に「国」に忠義を尽くして、霊公・斉公・景公の三代の君主達を補佐し、民生の改善や向上を図り、謹直な外交や名将の司馬穰苴を推薦して、国家の安全を保ち、自身の地位や私財を用いて、自分の家族や親族をはじめ、何百もの家の人民に仕事と生活があるように図るという、傑出した哲学者・政治家だった。晏子は、決して君主ではなかったものの、西洋史上、最大の哲学者の一人であるプラトンが提唱した「哲人王」の如く、「哲人宰相」と呼ぶのに相応しい聖人であると、私淑している。

 そして、晏子を切っ掛けに、同じ春秋時代、「哲人宰相」と呼ぶにも相応しい伊尹・周公旦・管仲・子産・士会・百里奚・孫叔敖・柳下恵・蘧伯玉等を知り、そして、中国史上、最大の哲学者の一人である「孔子」のことを、さらに深く理解して、ますます私淑するようになった。

 自分は、かつて父にこう言われた。

「政治家と哲学者に、同時になることは出来ない。それに、政治家の努力とその影響は、一代限りで終わるが、哲学者の努力とその影響は、万代に亘るのだ。だから、お前は哲学者だけを目指せ。」

 これは、自分が父に対して真っ向から反対する、数少ない意見であり、この言葉を言われたのが、14歳の頃であり、今24歳である自分は、10年の歳月を掛けて、やっと志を以て、理論的に反対理由を言えるようになれたのだ。

 まず、「政治」の定義を、必ずしも、「政府の役職に就き、地位・権力を以て、人間集団における秩序の形成と解体を巡って、他者に対して、または他者と共に行う営み。」であるとはしないのだ。どうして、「政府」にいて活動することだけが、「政治」であろうか?論語にも、次のようにある、

 ある人が、孔子にこう言った、「どうして、貴方は[もう]政治を為されないのですか?」
 師はこう言った、「『書経』にこうある、 ❝孝行には直向きな孝心があり、兄弟には友愛がある、これが、政治に[徳を]施与するだろう。❞』このようなこともまた、「政治を為す」ということだ。どうして「政治を為す」(権力や地位に就く)ことで、為さなければならないのだ?」【論語 為政 2:21:37】

 次に、ゴータマ・シッダールタ(釈迦)は、世界史上、偉大な哲学者の一人である、と非常に尊敬するが、その一方で、政治学や家政学の観点から、自分は個人的に、厳しく批判する。まず、「王子」という地位や権力等の、富貴の身分でありながら、世に満ち溢れた苦痛や惨状を見て、そして、無常を知り、どのように大衆を苦痛から救済して、智恵を以て束縛から解放し、安楽な心を以て、善き幸福な人生を送れるのかを知り得るために、父や妻子を置いて出家し、悟りを開いて戻ると、完全に王子としての道を放棄して、妻子をも出家させて、生涯に亘って、多くの人々に出家や隠棲を勧めた。富貴の身であり、叡智の心がありながら、地位や権力を以て善政を布かずに、しかも、孔子やアリストテレスのように、人々が現実を生きるための政治や実業、人材育成や社会参画等を行わずに、流浪して、深遠な観念論や高遠な説教ばかりを説き回った。自分は、これを「無責任な努力家」「実力の無い有徳者」と批判する。

 もちろん、釈迦自身が、家系や政治を完全に放棄することで、一意専心することが出来たが故に、深遠な観念論や高遠な説教を行って、仏教を開けたという側面もあるし、釈迦自身も、諸行無常を悟って、子どもを生むことや残すことの悩みや罪を感じたり、王族の家族問題や王政の行末である腐敗や堕落を悟って、妻子を連れ出し、多くの人々にも、家政・勤労・自我等から解放して(出家)、自由のある幸福な人生を歩ませたいという善意もあったと思う。事実、政治の腐敗・骨肉の争い・仕事での貪欲や乱心・自我への執着は、人類の切実な問題であることは、今日、そして、未来でも抱え続けるものである。

 しかし、そのような善意や智恵から決断した人生だったとしても、上記の批判を、自分は行う。なぜなら、偉大な哲学者と思うからこそ、自分は必ず批判する。また、孔子やイエスに、イスラム教の開祖にも言えることだが、多くの哲学者の人生を詳細に学べば、彼らの多くは、社会や国家、世界や神などの深遠にして高遠な難題に挑み、命懸けで奮励努力や挑戦するも、家族のことは、ほったらかしにしているか、他人任せであることが多い。さらに、最大の問題は、弟子達や後世の人々が、「全く誤りの無い完璧で模範的な聖人」のように、無批判に絶賛しては、疑問や批判を抱かせないことである。

 仏教は、原典を読めば、釈迦のことを「世界の支配者」や「創造主が三度も請うた」などと述べ、多くの観念論を述べるが、王族や父・妻子の詳細のことはほとんど述べられておらず、実学や社会参画のことも、ほとんど述べられていない。これが、仏教のカルト的な側面であり、現実からの乖離や逃避に繋がる側面である。

 儒教は、孔子を「月日の如く」などと述べ、個人の心身の修養に社会参画や国家発展のことを多く述べるが、商業等の経済的な構築、そして、家族問題、特に夫父として、妻子をどう愛するのかは、ほぼ述べられていない。孔子はもちろん、近現代まで、「孝」を絶対的な道徳にして、親の子への虐待や殺害の非難や、女性への抑圧や軽蔑への反対はおろか、子への虐待や殺害(腹違い兄弟の争い・子の体罰や追放)を正当化したり、女性の被害や犠牲(自殺・実子の身代わり殺し・強姦被害者の自殺等)を模範にしたり、孔子自身も、妻子をほったらかしにし、孔子の孫や曾孫、弟子達の中にも、母と離別したり、妻と離縁して追放したりする者は多かった。ちなみに、晏子ですらも、「聖人には誤まりは全く無い。」と考えていたのだ。

 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、唯一神の絶対化で、無理矢理に、疑問や批判の思考を抑え込み、天国や地獄で猛烈な恐怖心を植え付け、人を超自然化させて、自然を人格化させ、現実世界への認識や適応能力を狂わせ、また開祖の人生や聖典は、非科学的な話や、暴力・戦争・殺戮を正当化させる話で満ち溢れている諸カルトの原典にも拘わらず、平和や愛を齎す、誤まりが一切無い神からの贈物としている。アリストテレスの業績も、この三つの宗教の権威化や絶対化に利用されてしまったのだ。

 以上のように、多角的・多面的な懐疑心や批判思考を持てるようになったのも、晏子の数々の政治に対する批判や君主に対する諌言を学んだおかげである。そして、理論と実践の両立、自己啓発と社会貢献の両立を志したのは、晏子春秋のおかげだ。

 数年後、晏子を継承する本『国運』の完成と出版を目指している。我が師よ、次は私です。

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ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。