『西洋人との結婚に関する産業的状況』⑤(作者:ヴー・チョン・フン、1930年代ベトナムのルポルタージュ)
第五章 スザンヌは欲するか・・・欲しないか
いつもは娘に関して何かと許可を出すような人ではないようだが、どうしてアック婦人は、私とスザンヌとで一緒にティカウとダップカウでも観光しに行けと勧めてきたのだろう? 単に風景でも見に行けということか? それとも、信頼でも深めて来いということか?
だが、彼女の真意などわかりえないものだし、知る必要もないのだろう。しばらくスザンヌと歓談をしたわけだが、私はその中で、自分が善悪の判断がつく者であり、寛容を忘れないようにし、なるべく人を好むようにしていて、また無暗に人を軽蔑しないようにしているのだという記者としてのポリシーを、はっきりと目の前のスザンヌに伝えてはおいた。そのことについては、読者人にも了解しておいてもらいたいところだ。
そうであれば、道中、私はスザンヌに忌憚なく尋ねてみた。
「こうやって一緒に遊びに行くことになったんですから、まあ、お互いかしこまらずに行きましょうか?」
すると、スザンヌは頭を下げて答えた。
「私、思うんですね。記者さんっていうのは、もっとこう、どうしてだ、どうしてだって、聞いてくる癖に、聞いたことを自分の好きなように着色するでしょう? だから、私の場合は、私が自分のことを信じていれば、それでいいかなって」
彼女がそういうのを聞いて、私は嬉しくも感じたし、悲しい気持ちもした。嬉しいというのは、きちんと彼女から信頼されているからこそ、こんなふうに率直に言ってもらえているのだと確信したからで、悲しいというのは・・・ただ信頼されただけに過ぎず、むしろ記者という仕事が人に誇れるものではないのだなと、そう思わされてしまったからである!
ヴォオジアンの県境を越えた。バックニンに行く道中、私たちは季節の逆転を味わった。少々気温も寒くなってきており、また冷たい雨も降り始めていた。先ほどまで私たちは春の中を行くような気分であったのに、今は冬の中に行かねばならない。
見渡す限りの、女、女、そして女、皆、西洋人のための妻。
到着して私たちを迎えてくれたのは、彼女ら一群であった。わらわらと走り寄って集まってきた女性の数は異常を極めた! 皆が真っ白なパンツを履き、真っ白な歯をして、チョッキやセーターなんかを着ている。彼女たちを見ていると、「随分リラックスした格好ですね、カードの集まりでもあるんですか」と尋ねたくなるほどだった。美しいのも、醜いのもいたが、皆一様に名状しがたい外国人向けの外見にしている。戸や簾の内側で気後れしているのもいて、彼女たちにはなんだか阮嘉韶の宮怨吟曲 を改訂したい気持ちにさせられた。
簾の内側からちらちらと差し込む鏡の光
草木も雨雲の気持ちに・・・恐縮する!
私はスザンヌに尋ねた。
「どうして、西洋人向けの娼婦たちは、老いても、また醜くても、なお依然、需要があるんだと思います?」
「あー、その手の質問なら、私、答えられる自信がありますよ。ずばり、西洋人の持つ審美眼と言うのは私たちのものとはかけ離れているんです。たとえば、記者さん、太った女の人、あの顔がふくよかで、丸々とした人が見えるでしょう・・・見ましたか、じゃあ、記者さん、彼女のことを、恐いなとか、野蛮そうだなとか思いましたでしょう? でもね、大雑把に言えば、西洋人たちはああいうのを美しいと言うんです。記者さん、おそらく、ベーティーさんのお顔はご存じですよね? 彼女、私と一緒にいたんですが、まさにその時、西洋人の男の人が来て、彼女のことをほめそやすのを、聞いたんですよ、完璧な美しさだって、彼女こそ、ベトナム一番の美女であるとまで! 反対に、柳のような、優美でしなやかな女の人がいたとしましょう、記者さんもその人に惚れてしまうほどの女性だとします・・・西洋人がその女の人を見て思うこと、それは、美しいが脆すぎるということなんです。やせ細った女の人では、子どもを数回生んだところで、その身が持たないだろうというわけです、だってそうじゃありませんか? つまり、やせ細った美というのは、結局、壊れやすい美ということなんです、ご理解いただけました?」
私は人笑いすると、さらに尋ねた。
「それじゃあ、西洋の方の人たちというのは、丈夫で長持ちする女を嬉々として買うということかな?」
スザンヌは、私の横腹を軽く肘で小突いた。
「記者さん、たとえば、木製品とかお洋服を買いに行かれるでしょう、その時、記者さんはわざわざ、劣化が早くて、ボロボロになりやすくて、壊れやすいものを、好んでお買い上げになるんですか?」
欧州の人たちは、やたらとスポーツを好むわけであるが、そうすると、どうして美意識など気にすることもなく、とりあえず丈夫な道具ばかりを求めるのかという、そういう疑問は、彼女の語った例を引き合いに出せば、十分に説明されそうである。ただ東の方を見れば、たとえば、日本があるが、あそこは喜んで脆い美を、すぐに壊れてしまうものを好むような国になるわけなのだが。
スザンヌの説明は、確かに、美というものについての新しい見解を二点ほど与えてはくれたのだが、ただそれだけでは、醜い娼婦が結婚にまでこぎつけることができる理由は説明されえない。醜いもんは醜い!と、アック婦人はこうも言っていたが、もしも、醜い娼婦の境遇であれば・・・今のご時世、どうやって生き抜いていくことになるのか? そこで試しに、私は的外れなことを言ってみた。
「多分、彼らも、ただ見た目の美しさだけを好んでいるわけじゃないんでしょう。絶対、彼らの多くは品性を重んじていて、徳のある女性を妻にしたいと思っているはずです。そうに違いありません、だからこそ、美貌を持ち合わせていない娘たちでも、売り余らないでいられるんですよ」
もちろんのこと、私は本気でそんなことを言っているのではない。あくまで、その目的は、スザンヌにも正直なところを話してもらうことなのだ。彼女はかなり正直に語ってくれたと思う・・・以下のように、彼女は語ってくれたのだから。
「記者さん、本当にそう思っていますか、むしろ、徳性だなんて言葉が決して西洋人と結婚するのに際して寄与しないことぐらい知っているはずですよ。どうして、醜い彼女たちでも結婚できるのか、老いてもなお結婚できるのか、ですよね? それは、西洋人の中でも、人生を諦めた人たちがいるからですよ。男からしたら、召使だと、面倒をよく見てやっても、万引きする恐れもありますから、それなら、妻を一人もらった方が良いでしょうし、召使と違って命令も出来れば・・・、まあ、他のことにも使えますから。別に妻の方だって、夫と会話が出来なくても、夫のことを大事な金庫だと思えば、夫からの愛情を受け止めることも容易い事じゃないですか? その上、ひとり西洋人がこの土地にやって来てしまえば、誰もその男の過去を知るすべがありませんでしょう? 彼らの脳みそには道徳なんてありませんよ、ただ性欲のはけ口があれば、それでいいんですから! 男と女には役割があるんです、共にそれに従って、互いを必要とすることに苦しみ、そして愛し合うんです。それを愛というんです。そこに愛情を望むんだったら、お互いを軽蔑することなんて、誰にもできませんよ。愛のためには〈百という受け入れがたさこそを、絆の土台とするべし 〉、快いものばかりが愛なのでしょうか、むしろ、愛って、愛せるような形をしていないんじゃないでしょうか?」
本当にその通りだ。スザンヌは若いながらも、すでにこの世のことをよく理解している! しかし、それは決して喜ぶべきことではない。世の中のことを理解してしまった人とは、総じて幸せを享受してきた人ではないからだ。幸せとは、世の理を何も理解していない者であってはじめて、ただ漫然と享受しえるものなのだ。
ちょうど話も一区切りした頃には、すでにいくつもの土道を越えていた。病院の立つ丘の反対側を越え、商店の並ぶ駅も通り過ぎて、現在、私のたちの目の前には川とそこにかかる橋が見えている。右側には汽車の線路が、左側には丘の頂に立つ砲手兵たちの兵舎が見えた。
「無事に丘を越えられてよかったですね?」
スザンヌは頷いた。私たちは煉瓦造りの工場を見て回り、ダップカウの市場の裏手に並ぶ家々を観察しながら、のんびりと丘の頂を目指して歩いていた。ここの民家には珍しい詩的な面白みが存在するためか、どこか遠くの見知らぬ土地へ旅行に来たような、そんな感情がふと沸き起こった。びっしりと敷き詰められた赤土に覆われた伝統的な民家はどこか物静かである。屋根の高い家もあれば、低い家もある。蛇が通った跡のような曲がりくねった道に沿って立ち並んでいる。また所々、青緑と灰色の混じった岩が高く積み上げられたり、横に並んでいたりしていて、さながら中国庭園に立つ岩の柱を見ているようだ。とても美しい光景だ!
今がちょうどいいタイミングなのかもしれないと思った。この若く、美しく、そして西洋の血を宿した混血の娘の内に秘めた思いを聞き出せないかと、私はずっと機会を探っていたのだった。彼女はこれから結婚をするつもりなのか、するならばどのような計画を持っているのか、もしもそうではないならば、一体どうやって生きていくつもりなのか、確認しておきたかった。
詩的な風景の中心に立てば、人は自然と秘めたるものを語りたくなるものなのかもしれない・・・。
この丘の頂には・・・点々とするグアバの木に囲まれた小廟があり、そこから足元には兵舎や民家が望めた。脇には川の直線流域が見渡せ、申し分なく詩的な雰囲気を醸し出してくれていた。
「ええ、西洋人とは寝ることもありますけど、彼らと結婚しようとは思っていません。それに結婚しても、貧しい生活になると思います。幼いころから数えて、私には四人パパがいたことになるんですが、パパたちがフランスに帰る度に、私とママはどれだけ辛い思いをしてきたことか。この目で何度も見て来たんですから、結婚しなくたって、わかるんです。本当に私の置かれた境遇というのは、どうしてこんなにも。もしも結婚して、その夫が母国に帰ると言ったとしましょう、私もその人について行ったら・・・、この地で母は飢え死ぬことになるでしょう?」
「安南 の人と結婚すればいいじゃないですか?」
「それだって、難しいんです。際限なく私のことを受け入れてくれる人がいたとしても、その人の家族が、私のしている仕事を認めることなんてありえないんですから。もし、その過去が知られてしまえば、到底、受け入れてなんかもらえません。それに、どうせ、美しさに夢中になるのは一時的なことで、それも冷めてしまったら、私なんてすぐに捨てられてしまうんですよ。きっと、私のことを受け入れられるような勇気のある人でも、そうするでしょうね。一般的な慣習に従って生きている人たちも、どうして混血の女に寛容さを示すもんですか? 混血の生まれとはすなわち、不幸に生まれついたということ。西洋人からしてみれば、混血なんて全然珍しくもないですし、ベトナム人から見ても、完全には愛せない存在なんです。欧州の貴族社会の中では、少しでも安南の血が流れていることは屈辱的なことなんですって。ベトナムの貴族社会もそうです、少しだってフランス人の血が混じっていることを、栄光に思うことなんてありません。どうしてなの! それじゃあ、私には、祖国がないというの!」
スザンヌは下を向き、思わず、すすり泣いた。
私は彼女の手を自分の方に引き寄せた。その手の甲に口づけをすることによって同情を伝えたいとも思った。しかし、考え直してみれば、わざわざ、火遊びをするような必要はない。
スザンヌは苦い口調で再び言った。
「嗚呼、私は祖国の無い人!(フランス語)」
私は静かに言った。
「混血の男と結婚すれば・・・」
心痛を抑えているようだった。彼女も落ち着いた様子で答えた。
「記者さんがそう言われるのも尤もです。私だって、そう考えました。混血の夫、仏教の死生観もあって、私のことを決して軽蔑しない人。もし生まれのいい人なら、私もきちんとした身なりをしないと。でも、もし貧しい人、たとえば一般兵とかなら、私も只々、人と変わらない格好をするんでしょうね。学校でずっと勉強していたけど、混血児じゃ認めてもらえない。もしも皆みたいに、ママのことを考えなくてよかったなら、去年の内にもフランスへ移っていたのかな。もしも人並みに、フランス市民の人と結婚したいとか思うのなら、ハノイに暮らして、どこかいいところを探して、物を売ったりなんかして、毎月数十ピアストルを稼いで、それで服も買えて、もしかしたら、そうやって未婚のままでいたりして、でも、それでもいいの、ママが苦しむよりは全然。ママにトウモロコシとか、芋とか食べさせてあげられるから」
これがスザンヌの抱える悲しみであった。親を思う心があれば、彼女という存在を・・・世間は英雄と呼び称える慣習が彼女を苦しめている! 加えて彼女は言った。
「どうして、何の罰でこんなにも悲しいのでしょうか、祖国を持たないからでしょうか?」
言い終わると、彼女は立ち上がり、四方を見渡していた・・・。
スザンヌはフランス人と結婚したいとは思っていなかった。スザンヌは祖国がないから辛いのではない、彼女には信じられるものがないのだ。スザンヌはまた安南の男と結婚したいわけでもない。嗚呼、もしそうならば、これ以上、彼女のために何が言える! こんなことがあり得ていいのか?
「私としては、なんでもいいから、誰か、安南の人で優れた人と結婚した方が良いかと・・・」
スザンヌは横目で私のことを見ると、微笑んだ。その見つめ方は、非難にも、また親しみのようにも思えた。
「ママもそう思っていますよ。ママが私にこんなことを言うんです。自分のことを後でちゃんと埋葬してくれるお婿さんが欲しいって。いつもそうなんです。ママは生きる事より死んだ時のことばかり心配している」
今だ! この機会を逃したらいけないと思った。
「何を言うんだ! 老いたお母さんが、そうやって心配するのはもっともなことなんだから、スザンヌ、あなたは結婚しないと駄目だ。誰でもいい、平凡な人でも、紳士でも、考え方の新しい人だっている・・・、時代遅れの偏見に頭を悩ましていてはいけない。家族のこと以上に、あなた自身が、誰と一緒になりたいかを知るべきだ」
スザンヌは口を開けて笑った。
「でも記者さんみたいな人はいないでしょうね? お上手ですこと、都会の人はお調子ものですね!」
私もつられて笑ってしまった。だが、またスザンヌは顔を強張らせて言うのであった。
「できません! 結婚なんてできません。いつだって人は初めに夢ばかりを見るものですよ。人生の良美な面ばかりを想像して。でも人生の苦しみはすぐには良美の下に向かおうとはしないのです。それはただ、後ろで足踏みをするばかり。たとえば、フーランにいるドン・デンさんのお婿さんのような話もありますでしょう!」
この話もまた、〈西洋人との結婚についての産業的状況〉についての問題提起をしてくれる話に属するが・・・しかしこの場合、女性がそのようにして働くのは自らの意志ではなく、男性の命令によるものであった。
その若い男は混血の妻をまるで金鉱山のように見ていたらしい。
スザンヌが述べたことは三分余りであったので、私もここでは三十行ほど書いて初めて読者に理解していただけるのではないかと思う。
およそ八年前、小学校の教員をしていた男はドン・デン婦人の娘と夫婦の契りを交わした。その後、省一帯がその夫のことをあまりに貪欲であるとけなすこととなったのは、結婚後にこの混血の生娘が急に何万ピアストルという金を稼ぎ始め、北門の市場にある寺院の修繕費まで尽くす羽振りの良さに、一同が怪しんだからであった。
「どうしてあんなに金持ちになったんだ?」
「違法に阿片でも売っているんだろうか?」
「違うね、全部、男たちが置いていった金だよ!」
「ひどい話だよ、悪魔のように醜いね、金持ちになるために、妻を西洋人に差し出すだなんて、阿漕な商売だ!」
「醜いも美しいも、なんだって言うんだい・・・そいつの人生はそういう運命だったんだよ!」
それは西洋人を相手取るベトナム女性らの〈根も葉もないうわさ話〉になるのだが、大概、こういう話はドン・デンの人生に対する嫉妬が起こる度になされたのであった。
婦人の語る珍しい生い立ちというのは、そういった女性らにとって羨ましく、嫉妬を煽るものであったのがいけなかった。
彼女の名がまだ、トゥー・バックであった頃、つまりは〈夭桃若菜〉の頃であるが、自分の夜叉的な相貌を理解していたがゆえに、彼女は多くのことを望んではいなかった。ただ彼女が切望していたことは・・・愛するフランス人兵士の男と一緒に、少しでも長くいられればということであったのだが、そのようなロマンスも、男の方に芸術の観念が十分に備わっていなければ、ただ一方的なものとなっていた。
それゆえに、子を一人産んでからは・・・、彼も姿を見せなくなってしまった。トゥー・バック婦人は人生に疲れ、嘆いたものであった。
鈍く流れる川の水面
向こう岸のあなたは いつになれば私の下へ流れ着くのか
数年という月日だけが流れた・・・。
嗚呼、辛かろう、恨めしかろう。
彼はもう戻ってこない、そう理解した彼女には、〈枝迎南北鳥 葉送往来風〉という詩が相応しかった。そして身を売る仕事に就くこととなった。
ある夜、医系技官の男が使用人に彼女を呼ばせた。翌月には、彼女はこの男の妻になった! 彼女を娶った理由は同情か、それとも愛情か? ともあれ誰も、この男の寛容さなんて理解するところではない。
そういう運命にあったのだと思えば良いのだ。
数年後、その技官は国に帰ったまま、戻って来なくなった。
また次の年には、代わりの者として他の技官がやって来た。
だがしばらくしたら、新しい技官も帰って行った。
どの男も、自分の妻を煉瓦造りの家に残して帰って行った。お金の詰まったトランクばかりがいつも残された。
しばらくお金に不自由することはなくなったが、彼女には気力がもう残されていなかった・・・、それからはずっと未亡人のままでいる。ただ一人だけ娘がいるバー夫人の望むことは、自分の死後、娘夫婦に立派なベトナム式の追悼式を挙げてもらい、そして埋葬してもらうことであった。だが婿であった小学校教員は妻にこんなことを言うのであった。
「僕が君と結婚したのは君を愛していたからなのに、それなのに君はママのためにと、金のことばかりじゃないか」
数年が経つと、義理の息子は日夜、妻の母親を早く殺してくれ!と、天に祈願ばかりになっていたのだった。
ジリー(妻の名)は顔をしかめた。
「忌々しい奴、お前だって金のことばかりじゃないか!」
夫は冷笑した。
「額に皺が増えたよ、お前の夫になってしまったのが間違いだった。お前の所の婿なんかになったがために、金の話なんかどうでもいい、この生活が屈辱的で堪らないんだ!」
ふたりの言い合いが、ドン・デン婦人の下に届いていたかどうかは定かではない。だが、知らぬが仏という言葉もある! 昼も夜も彼女は懸命に〈聖母〉へ祈念していた。この人間の世界に恩寵を与えたまえと、そして線香の煙をまき散らし、ゴホゴホと咳き込むのであった!
「だからいやなんです! 貧乏でもお金持ちでも、私は絶対安南の男とは結婚しませんよ!」
スザンヌはそう言って、長い溜息をついた。私も私で長い溜息をついた。
「ちょっとすぐに行かなくては行けなくて、キエム凶婦人が私のことを呼んでいるみたいですから」
「ハノイに帰る前に、また立ち寄ってくださる?」
「それはちょっと、まだ予定がわからなくて、とりあえず、今日はあなたにもお母さんにもお世話になりました」
そう言い終わると、私は帽子を手に取り、そこを後にした。だがそれから、スザンヌが十歩ほど遅れて、私に駆け寄ってきた。
「ねえ、記者さん?」
「?」
「この頂いたネックレス、何か意味が?」
スザンヌは正直に尋ねてきた。そのクリスタルのネックレスは、丘から町へ戻ってくる時に、私がホテルで購入したものであった。彼女の自宅に戻ってから、私はそれをスザンヌの首に掛けてあげたのである。アック婦人は貧しかったが、懸命に私のことをもてなしてくれた。アック婦人には大きな出費であったに違いない。彼女に尋ねられた時、私は思い切って言ってみた。
「あなたは、痛みを教えてくれましたから」
この記事を通して、スザンヌたちに日の目が当たることを願ってやまない。