ミタマで話すこと
私は、よく娘と会話をする。
昨日は、娘の悩み相談室。のような感じだった。
いくら本を読んでも、答えが見つからない・・・と。
(彼女は最近哲学にハマっている)
悩みはこの2つだった。
・お酒の席で、ある人の愚痴を聞いていて、疲れてしまうけど、早くこの時間が終わって欲しい思いで、頷いて聞いてしまっている。
結局私は都合の良いようにしか扱われていない。と思い、その人から遠ざかってしまう。
・一緒に仕事をする仲間の愚痴も聞くだけきこうとする。女って、話せば勝手に脳が整理されて、答えが自分から出る。と思ってるから。でも、そうは思っても、自分に全てを受け入れられるキャパがない。
結局、嫌われるのが怖い。人の反応が怖い。が根底にあって、本音で向き合えない。というもの。
私が、勝手に、この人はこういう人だから。と言って諦めてしまっていることが、それで良いんだろうか?
人は変わるんだろうか?
というものでした。
あなたなら、どうしますか?
私の体験をまず話しました。
私は昔よく喧嘩をした親友に、
「やよは、どうせ、私のことなんて、馬鹿にしてるんでしょ?!」
と、言われたことがある。
どんな場面だったのかは、忘れましたが・・・
その時の私の答えは
「馬鹿だなあ〜と思うことしたら。馬鹿だな〜って思うよ。でも、1個馬鹿なことしたら、○○の全部がそうなるの?」
そしたら、首を振ったので。
「だよね〜私は、馬鹿だな〜と思うことは馬鹿にしていると思うけど、だからって全部嫌いになったり、馬鹿にしたりはしないよ」
と。
書いてしまうと、当たり前のことなんですけどね。
で、娘に、こんなことを言いました。
↓
人は怖がりだから、自分が傷つきたくないあまりに、向き合うことを恐れて、自分の中の思いこみだけで生きようとする。
私がそうだったからよくわかる。
以前、映画監督の入江冨美子さんの「へそ道」で、ミタマで話す。ことを教わったことがあって。
人の本体はミタマであること。
どんな人にもミタマがあって、その人のミタマはどんなミタマなんだろう?って思いながら話してみたらいいんじゃないかな?っていう話になった。
そしてここからは私の解釈だけど・・・
人は球体なんじゃないかな〜って思ってるの。
赤ちゃんなんかは、まんまる〜そのもの。
だけど生きていく上での、思考の癖とか、で、よく使う一部だけ切り取って、自分ってこういう人。というセルフイメージを作る。
自分だってそうなんだから、他人から見たらほんの一部しか見てもらえていない。
よく自分探し。とかいうけど、今の自分には見えてないだけで、ふっと後ろを見たら、あ〜こんなんあったんだ〜ってこと、なんだと思う。
きっとものすごく俯瞰して見たら私たちはみんな、まんまるなんだよ。
なのに、ここが凹んでる。とか。あれがない。ここは真っ黒とか、言ってるだけ。
今、その人は気付いていなくて、使ってないだけ。
その人がいつか気づこうが、気づかずに過ごそうが、私は、結構どっちでも良くて。
今、付き合えるところで付き合おう。と思ってる。付き合いたくなければ付き合わない。それだけかな〜
私は、伝える仕事をしている時、一番気をつけようと思っているのは、正しさを伝えるということは、否定も同時に伝えていることなの。
根底は優しい人でいたいな〜と思うけど、
人は球体って言ったじゃん?
だから、思いっきり否定したい私もいるってことなんだよ笑
は〜〜〜???何言っての?
とか
クッソ〜〜〜!って思う私も球体にある。
あるものは使うべし。
私は自覚して使えるものは使え〜〜って思うよ。いい人でいなくていいから。
怒りは自分という存在を守ってくれるものだから。大事!
生きてきて、あまり怒るということがなくここまできた娘は怒りを表現するのがとても苦手・・・
だったら。
一言だけ言えば良い。
そうなの?
って
私はあんまり思わないかも
って
一言でいいから自分を守る言葉を使うこと。じゃなかったら自分に申し訳ないでしょ。
と。
あとは、笑えたら最高だね!
ちゃんと聞こう、聞こうとしたけど、アッハッハ!!!
無理〜〜〜〜私キャパなかった!って
で、外で、どんな反応が返ってきたって、この家のみんなは、あなたのことを理解しようとするでしょ。
そして、今まで、人を傷つけないようにと生きてきた優しい自分を信じなさいよ。
と。
今回の親子の会話は神回でした〜と言ってもらえました。
録音しときゃ良かったな笑