スマホもネットもSNSもなかった時代を生きました
いつ頃からスマホが現れて、ネット検索なんてものができるようになったかしら。
20代後半から30代はドイツで暮らしていました。40年近く前です。
その時にトランシーバーにも見える携帯電話が出てきたのを記憶しています。それを一度だけ持ったことがあります。
もちろんお役目は電話だけ。
10代20代前半。24時間寝ずに遊び続けた時期。恋もいっぱい。
スマホはなかったから、今のように会いたいからとすぐに連絡がとれる状況ではなかったのです。
今思うと、どのようにして連絡をして、待ち合わせをして会っていたのかしら…。
スマホで即座に連絡がとれる現代では、考えられないかもしれませんが。
待ち合わせして、ちゃんと会えていました。
連絡方法は家に電話をかけることだけ。そこで連絡がとれないと、どうしているかしら?と、わざわざ家まで会いに行ったり。
わざわざ行ったのに家にいないと、家の前で待ち伏せしてたり…。
これ。今だったら、ストーカーなんて言われちゃうのかも(//∇//)
その逆もあって、相手が家の前で待っていてくれた時の嬉しさ。
これ。もちろん、好きな人の場合ね。
そうじゃないと、これこそがストーカーですよね( ̄▽ ̄)
こういうのって、顔が見えないスマホとは違うドキドキ新鮮な感情。
メールやLINEといった顔の見えないやりとり。そこでは、文面をそのまま受け取るか、文面の裏を読むか…。
顔が目の前にあると、そんなことも必要なかったような気がします。
本もいっぱい読みました。本棚に入りきらない本は床の上に縦積み。雑誌も種類がたくさんあって、全部を買うことはできないから吟味して買ったものをひと月じっくり読んだものです。
好きな人に会う。会えないもどかしさ。大人数のドライブでワイワイ。
一人の時間は、あれこれ何やら空想してみたり。
英語の学習も、スマホはなかったから、やる時は集中していました。気をそらすものがなかったのです。
VHSとか言ったかしら。好きな映画で英語学習。画面の字幕に紙を貼って見えないようにして、一つのフレーズを聞き取れるまで、何度も何度も巻き戻し。
現代は何かをやるにしても、すぐそばにあるスマホが気になって、サッと手に取ってみたり。
” ながらスマホ ” なんて言葉もあるように、
歩きながらスマホ画面に下を向いている。
” おい!おい!前を見ようよ ” といつも思います。歩きながらまで、そんなに何を見ることがあるのかしら。
スマホがなかった時代を生きてきました。
素晴らしい時間だったなあと思います。
そして今。スマホが生活の中になくてはならないものになった時代を生きています。
両方を経験しているわけです。
自分の思考は、スマホがなかった頃の方が使われていたように思えます。
SNSを開けば誰かが、あんなことやこんなことを言っている。そんな誰かの言葉を追っていると、いつの間にか自分では思考することがなくなっているような感じさえします。
いつしか自分が一体何を考えて何がしたいのか、自分のことなのにわからなくなるような感覚すら覚えます。誰かがやっているから、誰かが言っているから…。
こちらの記事を読んで思い出したのです。
” そうかぁ、そうだよね。私はスマホがない時代も知っていたんだぁ ”
ふと意識して、スマホを手に取るのをやめてみると…。
自分の思いが浮かんでくる。思考が働き始める。
そう。スマホやネット上の世界を生きるのではなく、現実を大切に生きていたいよなと。
私にとっては、ここまで生きてきた時間より、この先の時間の方が短いんだもの。
現実の目の前にいる大切な人との時間を大切にしたいなぁ。
昨日も今日も明日も、人生の中では、
それぞれたった一度しかない一日なんです。
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