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正味の自分(kg)

人間は死ぬ瞬間に体重が21g軽くなるらしい。魂が抜けるから。

21gというと、空気1molの重さが28.8gなので16ℓの空気の重さと同じくらいだ。

Googleで『21g 可食部』と検索すると1番上に『はっさく1房の重さ』として出てくる。人間の魂の重さははっさく1房とほぼ同じと考えると、これからの人生で人の死に触れるたびにはっさくのことを思い出すだろう。天に昇っていくはっさく。

俺がサイコパスの殺人鬼だったら、死刑前の最後の晩餐には『殺した人数分のはっさくの房』をオーダーするだろう。

体重65kgの俺も、体重100kgの彼も、体重40kgの彼女も、魂の重さは等しく21gだ。人の命の重さは平等だ。だとしたら、残りの64kgと979gは、俺の何なんだろうか。

俺が体重100kgまで太っても、40kgまで痩せ細っても、仲良くしてくれる友人たちはいるはずだ。

だとしたら、彼らにとっての俺の『可食部』は、一体どれくらいあるのだろう。

妖怪『スルメ人間』

噛めば噛むほどに味が出るスルメのような人間は、乾いている。顎関節症の俺にとっては、顎に悪い。コンビニで『センスで』と言われておつまみを買いに行かされる時、100%自分の好みで柔らかい『くんさき』を選ぶ。

だけど理屈はわかる。噛めば噛むほどに、満腹中枢は刺激される。スルメを噛み続けているとお腹がいっぱいになってくる。相手の中の自分の割合を高める作戦としては非常に優秀であると言える。

しかし、スルメは主食になれない。多くの人にとって、スルメは大好物にはなれない。

就活でうんざりするほど発生する妖怪『スルメ人間』は、自身が脱水症状で苦しむ代わりに可食部割合をほぼ100%まで高めることに成功した。だから潤いを求める。都会にオアシスを求めては、慣れぬ淡水の中でイカに戻ろうとする。

残念ながら、スルメのような人間を噛み続けるほどの顎力を持たない俺には、彼らをヒントに自分の可食部を推し量る事は出来なさそうだ。

妖怪『タケノコ人間』

逆に、可食部割合の少ない食べ物はなんだろう?と考えてみる。

実家の裏山の竹林で取れるタケノコは、立派だが処理が面倒だ。

剝く。皮剥く。とにかく剥く。アク抜く。

皮を剥くほどに語彙力が消失し、灰汁を抜くほどに食欲が消失する。嫌いな人間にタケノコを贈れば、その人の家はタケノコの皮で埋め尽くされる。可食部は少ない。

だが成長が異様に早い。地下茎は強力で、アスファルトも突き破るド根性っぷりだ。もはや『竹害』とすら呼ばれている。

理解するまでのめんどくささや、えぐみからして、自分を表現するのにぴったりな気がする。自分にとても縁がある。俺の可食部は、タケノコと同じくらいだろうか?

脆歯の剣

自分の正味の可食部割合を考えるのがこんなにも難しいとは。安直ながらもスルメと形容される人々に嫉妬の感情を抱かざるを得ない。完全なる表現の敗北だ。

可食部が多い人は、たくさん飲みに誘われる。Facebookの投稿に『今度話聞かせてな!!』とコメントが付く。骨の髄までしゃぶり尽くせる人のことを言うんだろう。

あぁ、そもそも自分はそれを求めていないんだな。と簡単に結論付けられた。

人間は肉を食べる。可食部から外される骨は、犬が噛んだりする。豚骨ラーメンのスープになったりする。

きっと自分は『噛めば噛むほど味が出る』スルメ人間ではなく『じっくり煮込んで味が出る』トンコツ人間になりたいのだ。

酒のつまみに現代人の脆い歯で簡単に出てしまうような味が好きならスルメ味のガムを噛めばいい、と心のどこかで思っているのだ。

24時間大釜の前で腕を組み、タオルを額に巻き、汗まみれでじっと自分の旨味を引き出してくれる職人を待っているのだ。

一定の熱エネルギーを受け取って初めて、生きている間には出し惜しみしていた骨の髄に隠した旨味を溶け出させる。

『生きているうちにこの旨味を出せていれば…』と後悔しながら、仕事帰りのサラリーマンの身体に沁み渡る。

正味、人生

人生は無駄だらけだ。

小学校の頃に母親が買ってくれた遊戯王カードは、今空気中を炭素となって漂っている。スイミングスクールに通ったのに泳げない俺は、書道を習っていたのに字が汚い俺は、大学院まで土木技術を学んだのにその職につかなかった俺は、たくさん人生を無駄にしてしまったんだろうか。もっと効率的に両親のお金と、自分の時間を使うべきだったんだろうか。

正味の自分は、可食部は少ない気がする。だけど、少なくとも数人は、僅かな可食部の味を求めてスープを飲み干してくれる人たちが周りにはいる。

今では昔の無駄に思えた時間も、こう捉えている。

自分のお金を使わずにいろんな習い事を経験した自分は、親の愛と教育への熱意をしっかり受け取って大人になった。もしそれがなかったら、いろんなものの学び方を自分のお金と時間を使って教えてもらっていたかもしれない。1冊2000円の教材と1ヶ月の勉強期間があれば合格できる資格試験を、半年間20万円の通信講座で学んでいたかもしれない。

自分は最高にラッキーだ。

そのたくさんの無駄で、今の俺は出来ている。ちょっとしかない可食部に、独特の味を隠し持っている。誰かにとっての、知る人ぞ知る名店になれる。

最後に

札幌に行って、元バイト先の博多ラーメンが食べたい。

就活で『札幌なのに博多ラーメン』という掴みネタ以外に使わなかった、あの14席しかない狭い店内を訪れたい。

じっくり煮込んだ豚骨スープを、健康診断に引っかかるこの三十路手前の体に流し込みたい。

麺は80g、スープは300g、俺の体重の65,000gが少しだけ重くなる。

正味の自分の重さがわからなくなったら、可食部にたどり着くまでじっくり煮込んでみよう。

今ここに生きているだけで、きっと俺の中には可食部がある。

65,000gのうちのたった21g。ここでしか味わえない可食部を沁み出させる。













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