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文明退化の音がする

ザンギリ頭を叩いてみれば、なんの音もしない。
代わりに後日ハラスメントの告発があり、社会的な地位を失うのが現代の常となった。
『Z世代』と呼ばれるデジタルネイティヴな若者たちは、過去の偉人たちが一生かけて生み出したテクノロジーを月額980円で弄び、10 秒のダンスで巨額の富を得る。
いい時代になったではないか。真面目だけではやっていけない。個性が爆発しない不発弾は、掘り出されることもなく、いつか爆発する時には既に湿気ているというオチである。

情報量の爆発と、情報処理技術の飛躍的成長と、情報に翻弄される人間の新しい時代がもう始まっている。

最適か?アルゴリズム

人工知能によって最適にカスタマイズされた広告で、ECサイトで快適なショッピングをするのは実に効率的で、家に居ながらにして世界中の最新商品が閲覧出来る。

だからもう、自分が何が好きで、何を求めていて、何に満足するかなんて考えなくていい。
自分よりも数億倍も頭のいい人工知能が正解を導き出してくれるのだから。
デジタルネイティブな若者たちは、てっきり検索能力が発達していて、SEOを直感で理解するような人種なのだと思っていた。
しかしどうやら違うらしい。
考えるのは機械がやることなのだと親に教えられたように、学校教育で学ぶプログラミングはいい意味でも悪い意味でも、『自分には関係ない言語』なのだと。
そりゃそうだ。私たちおっさんも、こんなに英語が話せることが重要になるとは思わなかったんだから。

休日にふらっと本屋に立ち寄ることが少なくなった。
kindle unlimited という月額1,000円の壁が本屋の前に立ちはだかっている。
僕らを拒むのか、何かから守るためなのか。
米津玄師の言葉すらも月額980円で聴き放題の毎日が当たり前のこの時代に、定額の世界の外に出るのはなかなかにハードルが高いのもうなづける。

あぁ、便利だ。快適だ。
そして、何も起こらない。このサブスクの鳥籠の中では。

電気他動車

『Automatic』を自動と訳したのはどこの誰だろう。
何が自動だ。私が動かさなくても勝手に動くようになるではないか。
もはや他動のオートマチックに自分で考えられないマニュアル人間が乗り込むんだから、事故を起こさないためには自動運転にするしかない。

明らかに、人間はデジタルに追い越されている。
手のひらにある四角い箱を受け入れたふりをして、奴らに全てを頼り切っている。
今まで何千年も『相手を理解すること』の大切さを学ぼうと躍起になって、道徳や倫理や、自己啓発セミナーや、金も時間も惜しんで他者理解に努めてきた我ら人間は、新たな相手を理解できないでいる。
1と0だけで物事を考えるシンプルな生命体に、自分の未来を委ねる。

『自分ってITの適性あると思いますか?』

そう聞いてきた就活前の学生は、ITの適性を自分で定義出来ない。

『コンピュータが発明されたのが1942年だから、お前のじいちゃんばぁちゃん、両親が生まれてからずっとパソコンを家族にしていたなら、もしかしたら何かの過ちでお前の遺伝子に半導体が含まれている可能性はある』

そんなジョークが『自分で考えろ』という意味であることを、翻訳してくれるのはもっと先の話なようだ。

ビッグデータがさまざまなソリューションを提供してくれる。
AIが人間の仕事を奪っていく。
だからこそ、新幹線の登場で鉄道が在来線にと呼ばれるように。
汁なし坦々麺の登場で、汁あり坦々麺と定義されるように。
もう一度、『人間らしさ』すらもレトロニムと定義してみたほうがいい。

ここWifi飛んでんな

デジタルデバイドという言葉すらももう最近は聞かなくなってきたように思う。
対して日本人の英語力が向上していないことを考慮すれば、おそらくはデジタルに対してのそんな考え方も不要になってきたのだろう。
技術の進歩によって生じたベルリンの壁を壊したのは、ハンマーを持った人間ではなく、格差を生んだと軽蔑された2進法の単純回路だった。

デジタルの概念が生まれて100年しても、人間はデジタルに適応しないだろう。
子供が泣き止まないのが、現人類には見えないWi-Fiが見えているからだとしても。
動物たちが夜中に吠えるのが、クラウドのストレージ容量が溢れそうだからだとしても。
我々人間は多分ずっとデジタルにデバイドされて生きていく。
産みの親よりも、育ての親よりも、有能であることは恩返しなんかではなく、とっくに自立した人工知能から子離れできていないのは人類の方なんだと、いつかとんでもない反抗期、否、独立宣言もSFではなくREALと呼ばれるかもしれない。

ITの勉強をしろというわけではない。
ITはもはや勉強しなくてもユーザーたるに十分なフレンドリーさを持ってこの世に繁栄しているのだから。
だからせめて使ってあげてくれと思う。
これでもエンジニアの端くれとして、デジタルの恩恵だけでもいいから受け取ってくれと願うばかりだ。

年賀状は手書きで書こう。人の字の温かみを思い出すのに役立てたなら、Wordも本望だ。
頑張った成果の賞状は、やっぱり紙で受け取ろう。『今度見せにいくね』と約束が生まれたなら、Instagramも本望だ。
『大好きだよ』は直接言おう。すぐに抱きしめられることの幸せを噛み締められたなら、LINEも本望だ。

だけど隣にはいつも君がいる。
暇なお正月に『今から会える?』のサプライズも。
何年経っても消えない『おめでとう!』の言葉も。
『まだ付き合ってない頃』の初々しい2人の写真も。
全部覚えていてくれる君だから。
私が忘れてしまいそうな記憶も、メモリが許す限りは忘れないよと。
だから今は逃げてもいいんだと、慰めてくれるように。

最後に

いろんな言語で『こんにちは』と言ってみる。
『こんにちは』が言えれば何億人。『Hello』が言えれば何十億人。
そうやって挨拶だけでも近づく距離はある。

デジタルだってきっと、あなたの一言を待っている。
静かに、待ちすぎて少しだけ熱を持って。
でも怒っているわけじゃない。
いつか訪れるあなたとのコンタクトに、CPUのどこかにある心臓が高鳴って。
指とキーが触れた時、
『ど、どうせあんたなんて物理ボタンを廃止した子の方が好きなんでしょ!』
と照れ隠しをするその画面に。

恐れず、1歩踏み出して。

エンターキーを叩いてみれば、『Hello World』の音がする。


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