見出し画像

横須賀美術館と谷内六郎の世界

先日の渋谷駅の投稿で、谷内六郎さんのことを少し書いたので、横須賀美術館で買った図録とポストカードをひさしぶりに眺めています。

横須賀美術館は、神奈川県の観音崎という場所にある、観音崎公園の緑と東京湾に囲まれた、とても素敵な美術館です。
行ったのは1度だけですが、館内の窓からふと外を見ると海が見えるようなところで、とても気持ちがいいのです。

ガラス張りの近代的な本館のほかに、谷内六郎館があり、代表作の「週間新潮表紙絵」1300点を中心に、横須賀にアトリエを構えていた谷内さんの作品が紹介されています。

東横線の渋谷駅に電車が入っていくとき、谷内さんの絵の週間新潮の看板を見るのが子供の頃とても好きでした。それを見ると「渋谷に来たなぁ」と実感するのです。
覚えているのは、波打ち際がピアノの鍵盤になっている絵。
とても不思議で、素敵で、大好きでした。

ヘッダー写真のポストカードは横須賀美術館で買ったもの。場所がとにかく明るいところなので気分も開放的になり、日差しがまぶしいようなお天気の日の絵を選びました。
右の絵の灯台はおそらく観音崎灯台かな。日本で最初の洋式灯台だそうです。

購入した図録には、週刊新潮表紙絵から120点が紹介されていて、週刊新潮に毎号掲載されていた「表紙の言葉」という谷内さんの文章がそれぞれの絵に添えられています。
その言葉がまた、その時の彼の思いや時代がよくわかって、いい感じなのです。

谷内さんの絵は、決して明るいものばかりではなく、どこか寂しかったり、不安だったり、すこし不気味だったりするものもありますが、それは決して嫌な感じではないのです。

例えば、木々に囲まれた夜の外科病院の建物に入っていく白い服の看護婦(昔は婦でしたね)さんと、それに続く白いキツネ。それを離れたところから浴衣姿の男の子が目撃しています。敷地の入り口には外科医院の看板が立っていて赤い電燈が光っている。
その絵にはこんな「表紙の言葉」が添えられています。

 此頃比較的郊外でないと医院の赤電球は見られません。蛍光橙の新式が多いので、あの昔見た産婆さんや医院の熱にうるんだような電球がなつかしいです、何となく子供の頃の不安感に結びつく電燈の赤です、四辻のところにある消防団の小舎にも赤電燈が灯っていました、それらの思い出はもう茶色っぽく変色した記念写真のような色彩に凝結して、一瞬胸をかすめる風景です、そして夢の中に出て来る行ったことのない遠い町とか迷い子になった町にはたいていこの赤い電燈があるようです、(以下略)

赤くて丸い電燈って、そういえば昔はあったような。今もどこか、田舎の方にはあるのでしょうか。

また、「大きな時計の記憶」という絵は、古い旅館の玄関の大時計を、これまた浴衣の男の子が眺めています。時計の振り子にはその男の子の縮小版が乗っていて、一緒に揺れていたりして。

 小さい時に親に連れて行かれた旅館というのは忘れられないものです、異常に不思議な感じで心の中に残るものです、長い一生から見れば一瞬のことですが、はじめての驚きというのは、実に長い間、心を支配してしまうもので、人それぞれ一瞬どこでどんな風に驚きを得るかは解りませんが、人間の頭には実にボウ大な記憶が宇宙的につまっているものです、で、国会で「そのことについては記憶いたしません」と、バツ群のエリートの頭の人は言えるだろうか?そんなに簡単に記憶を失う人が人の上に立っているとするとこの世は真っ暗です。(以下略)

昔から政治家って、言うことが変わらないのね。

今、横須賀美術館では、酒井駒子さんの「耳をすますように」が巡回してきています。場所が変わると、また展示の雰囲気が変わるのかな。もう一度見たいかも。

美術館にはもちろんミュージアムショップもありますし、美術関係の図書室もあって自由に見ることができます。
それから、海の見える素敵なイタリアンレストランも併設されています。入ったことはないけれど。

向かいは、観音崎京急ホテル。

JRと京急の最寄駅からはバスになるので、ちょっと遠いですが、おすすめの美術館です。

美術館の屋上。行ったことあったかな?? 気持ちよさそう。

いいなと思ったら応援しよう!

フランチェスカ
書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。チップは自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。