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マグダラのマリアが来ている。
以前『マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女』という中公新書を買って途中まで読んで放置していたものを、また最初から読んでいます。
歴史とともに彼女がいかに様々なイメージを押し付けられ、利用されてきたかを、絵画を見ながら考察する本。
とても興味深いので、近いうちにnoteにまとめたいと思うけど・・・
なかなか大変かもしれない。
そして図書館で、絶版になっている「マグダラのマリアによる福音書」を借りてきました。
聖書の正典には入らない外典のうち「マリア福音書」というものがあり、それについての本です。
マリアは聖母ではなく、マグダラのマリア。
「ダヴィンチ・コード」が世の中に出たとき、マグダラのマリアが注目されたことになぜかものすごく歓びを感じたのです。もう叫んで走り出したいくらいに。
それがどうしてなのかはわからないけれど、自分の奥深くになにか感じるものがあるらしい。
先日ひさしぶりにAmazonプライムに入ったら「ロスト・キング」が観られるようになっていて、再び観ました。
リチャード三世も長いこと正当な評価がされず、敵側から悪者のイメージを押し付けられてきた人なので、
なんとなくマリアの存在が貶められてきたことを思い出したのですね。
時代や誰かの意図によって隠されたり、正当に評価されなかったり、
貶められてきたことを、きちんとした形で知ることができたらいいのに、と思うのです。
2千年前だから、困難なことだとはいえ。
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図書館で検索していたら、マグダラのマリアの聖杯とタロットカードについての本もあったので、両方借りてきてしまいました。
さて。
私はいったいどこに行こうとしているのでしょう。
意味はわからないのだけど、こういう時はコーリングってやつかなと思って、やりたいようにやることにしています。
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