見出し画像

あらためまして、フランチェスカです。(2023年8月更新)

あらためまして、フランチェスカです。
この名前を名乗り始めたのは1994年から。
イタリアブームが来る前、まだイタリア語を勉強することがマニアックで情報が乏しく、イタリア好きな人たちと交流したり情報交換したいと思って、友人たちとサークルを作り、会報を作るスタッフとして、それぞれイタリア名を名乗ることに。
イタリアの守護聖人・聖フランチェスコサンフランシスコと彼の生地アッシジが好きだった私は、フランチェスカと名乗ることにしました。
それ以来、オフの場でも「フランちゃん」とか「フランさん」とか呼ばれてきました。

noterでもあるイラストレーター、みけ*るーちぇさんが描いてくれたスタッフ紹介の絵。


1988年から2003年までの海外の旅のことをあらためて文章にして、ZINE(リトルプレス)にしようかと考え、2020年6月に旅についての固定記事を書いて、noteを始めました。

もともと1998年6月に自分のホームページを立ち上げ、写真やエッセイなどでアッシジやイタリアの小さい町の紹介などをしていました。
だから、旅の話はさんざん書いていたのですが、とにかく書くことが好きなのです。
文章を書くこと、写真を撮ることは、自分の体験を分かち合うこと。
まだ「シェア」という言葉が使われていない頃から、分かち合いたくて発信しています。

好奇心旺盛で、これまでいろんなことを経験してきました。
好きな道をひとつ専門にして極めていく人が羨ましかったのですが、私の場合は、いろいろなことをやることが持って生まれた特性のようです。
そんなわけでnoteの記事の内容は、あっちに飛んだりこっちに飛んだり。
統一感のある空気感で発信できる人が羨ましいなぁ・・と思いながら、これからも思いついたことを発信していきたいと思っています。

また、額装した写真や、カード、リトルプレスなどをwebshopで販売しています。私のnote内の「ストア」のページからどうぞ。

以下は、これまでやってきたこと、現在興味あることのいろいろについて。ご興味ある方はご覧ください。



書くこと

小学生の頃から、友達に手紙を書くことが好きでした。
6年生の時にはクラスの新聞班になって、友達らと壁新聞を作って教室に貼っていました。
手書きの雑誌を作っていたのも小学校のころです。マンガ雑誌の真似をして、仲良しの友達2人とそれぞれマンガを描き、読者プレゼントのページは小さい紙を折り込みました。お便りのページも作って、読者のおたよりもお返事も全部自分たちで書いてました。読者なんて自分たちしかいなかったのに。

日本人と、英語が少しできるようになってからは外国の人とも、文通をしていました。
イタリアのサークル会報誌では、自分の経験や調べたことを記事したり、イタリア人の友人に記事を書くよう頼んだりして、他のスタッフや会員さん達の文章もまとめて編集をしていました。

ホームページというものができるようになってからは、とにかくイタリアのことを紹介したくて、写真と合わせて文章を書いていましたし、それとは別にmonologoモノローゴ(伊語でひとりごと)というページを作って、日々の経験や気づき、雑感など、ちょうどいまのnoteのように書いていました。

とにかく、人生で何にいちばん時間を費やしてきたかといえば、勤め仕事をのぞいては、書くことだったのではないかと気づいたのは最近のことです。
こんなに書き続けているのに、書くことが仕事になったことがありません。なぜだろうと思ったけど、当たり前すぎて、書くことがお金になるなんて考えたこともなかったからです。

私にとって、生きることと書くこと、発信することは、同義なのだと思います。

旅のこと

1988年に初めての海外旅行で友人と二人、31日間6か国のヨーロッパ旅行に出ました。シンガポール航空で南回り。到着地ロンドンでの最初の宿も決めず、「地球の歩き方」だけが頼りでした。いわゆるバックパッカーといっていいのか(一等車輌に乗ることもあったが)。この旅は本当に人生の良い思い出です。
その時に出会ったイタリアとイタリア語にハマり、のちにイタリアに何度も行くようになりましたが、2001年を最後に行っていません。


写真のこと

1992年に父の古い一眼レフを始めて手にし、ペンタックスの単発講座に参加して始めました。もちろんフィルムの時代です。

飯田橋にある写真専門学校の土曜日クラスに3ヶ月通い、モノクロ撮影からフィルム現像、照明、モデル撮影など、入門的なことですが専門学校の設備で学びました。
その後、渋谷の専門学校の夜間に入りましたが、9カ月くらいで挫折。
撮りたいという気持がなくなってきてしまい、学校に足が向かなくなってしまいました。

その後、イタリア語学校のカルチャー講座の写真講座に参加したり、そのときのメンバーと先生でフォトクラブを作ったり、自分になりに楽しく活動していました。

雑誌のデビューは2001年。歴史のある占い専門雑誌でした。
新人としてはありえない5ページにもわたって掲載していただけたのは、友人と一緒のイタリア・アッシジの記事だったから。

それからwebを通じてアートディレクターさんにお声をかけていただき、文具メーカーで商品を販売。写真、デザイン、版下の作成まで担当しました。
3つのシリーズを全国販売しています。

自分のwebshopでの商品撮影を兼ねた、人形フィギュアリンの撮影。これは本当に楽しかったです。撮りたいから輸入していた感も。

海外に行かなくなったあと、長いこと花や植物の写真を撮り続けてきましたが、最近はもっといろいろ撮ってみようかなと、のんびり考えています。

そうそう、入門レベルの写真通信講座を主宰していたことも。
テキストも全て自分で作成した力作でした。
フィルムの最後の時代、くらいのことです。


絵、イラストのこと

幼稚園くらいから、チラシの裏に絵を描いていました。
小学校ではそれをホチキスでとめて雑誌を真似してみたり、友人と見せあいっこしていました。
その後友人らと漫研を作ったりして、自分は漫画家になるのだろうと高校生くらいまで思っていたかもしれません。
大学の時まで描いて、描くのをやめました。
自分の描く絵が気に入らなくなったのと、現実の生活のほうが面白くなったからです。

2,3年前に、あべまりえさんの水彩イラストの本が楽しそうだと買い、同じくまりえさんの時短スケッチの本も買って、ペン画を描くように。
昔取ったキネヅカで、描く楽しさを思い出しました。
銅版画をやりたいとずっと思っているので、ペン画を描くことがその足掛かりになればいいなと思っています。


カリグラフィーのこと

2018年に、カリグラフィーの本に出合ってから、古代から続く文字の世界に魅了されています。なかなか新しい書体の練習に進めませんが、マイペースで続けていきたいことです。
同時に中世写本装飾も大好きです。


精神世界とメンタルケアのこと

スピリチュアルな世界のことが、まだ「ニューエイジ」と呼ばれていた頃から、心の仕組みについて興味を持っています。
若い頃から職場などで霊感の強い人たちとよく出会っていました。

色彩心理学者の末永蒼生すえながたみおさんが主催する「色彩学校」に通ったこともあり、塗り絵やパステル画を描くことによる気分転換レベルのアートセラピーのワークショップを主催していたことがあります。
「パルテル和(NAGOMI)アート」の準インストラクターでもあります。

クリスタルボウルの演奏者クリスタリストでもありますが、現在演奏活動は休止しています。

いわゆるスピリチュアル、霊的な世界のこともときどき書いています。
特定の宗教の信仰はありません。

まだいっぱい引き出しがあるような気がしますが、思い出したら書き足したいと思います。

Instagramはこちら
グラフィックwebマガジン「Stay Salty」に不定期で(ほぼ毎号)エッセイを書かせていただいています。

いいなと思ったら応援しよう!

フランチェスカ
書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。チップは自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。

この記事が参加している募集