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列女伝から考える

昨今の人は動物だ。

『列女伝』劉向著。中島みどり訳注。2001年五月一刷。平凡社。をこの度読みました。

孔子とかムハンマドとか、歴史上、道徳規範となる偉人はみな男性。彼らのエピソードも多い。道徳を説いた女性とそのエピソードはなかったのかと近頃思っていたのですが、これを読んで思うところを書きます。

『女性の品格』坂東真理子著。という本があった。ペラペラッとざっと見てもつまらなかった。『列女伝』でも読ませた方が現代女性たちに良薬になるでしょう。

劉向

劉向(紀元前79年(元鳳2年) - 紀元前8年(綏和元年)。

漢代の人。代々役人の家柄。父は錬金術(練丹術)の研究をした。しかし(当然ながら)錬成はならず、失脚する。息子劉向は、兄の嘆願の甲斐あって、朝廷に仕えるチャンスを得た。

漢は儒教を国学化した。劉向は、漢皇室を漢全体の家庭であり、一宇であるとみた。つまり漢全体が一つの家であると。

劉向は、女性にも礼教を教えるべきだと考えた。皇后が王室を支えるように、庶民の女性たちもまた各々の家を守るべきだと。

漢以前の中国において、儒学礼教は、男性だけのものであり、女性は除外されていた。逆転していうと共同体的責任は女性にはない。

劉向はその当時すでに古典となっていた書物から大胆に脚色をして、女性とはこうあるべきだという説話形式の本を書く。それが『列女伝』。

女性が女性自身の道徳規範を説くことはなかった。劉向がそれを著わした。

しかし後漢にはいって、読書人家系の生まれで女性歴史学者であった班昭がこれに註解と『女誡』を付属させた。これによって劉向の仕事は完成したといっていい。

班昭は後宮(大奥)の女性たちに立ち居振る舞いなどを手ほどきした。女性とはこうあるものだという手本を示した。この点では女性たちにも女性自身の道徳規範があったといえる。

規範と矛盾

上古中国は双系的だった。上古母系的社会は中国のナシ族の一部に残っている。やがて男性主義が優位となっていく。

漢代に入っても、「家」の考え方は定まっていなかった。女性たちは「夫の家に入る」という意識は希薄で、むしろ実家の財産の一つであった。

劉向が理想としたのは正妻は夫の家に入り、その祖先礼拝に参加することだった。ただ子どもを産むというだけならば、それは妾にもできるからだ。メスは子どもを産めばそれでよいと言うのでは、ただの動物だ。

劉向はそれを憂慮したがゆえに列女伝を記した。

女子と小人とは養い難し

論語

とは孔子の言葉。春秋戦国時代にはすでに、教育に値するのは士大夫階級の男性のみであるという慣習が確立されていた。

劉向はその点、儒学の改革者である。天子の臣民には、士大夫階級の男性だけが仕えればいいというものではないのだ。というわけですから、天子の臣民赤子として全ての人を取り込まなければならない。女性も例外でない。礼教から除外される階級や人というのはいてはいけない。男女のへだてなく礼教は教えるべき。このような改革。

中島みどり先生はしかしながら、ここに二重規範があることを指摘している。女性たちはあくまで内助の功なのであり、男性を飛び越えてはいけないということを劉向は強調している。

しかしながら同時に、列女伝では多種多様な女性たちのエピソードがこのような規範に対して矛盾している。

エピソード集や説話集などのいいところは私はここにあると思っています。規範だけでは規範が独り歩きする。現実には人間は規範に収まらない。人はぼやけた境界にまたがって存在する。だから矛盾したエピソードがあるのは大いに結構だと思う。

説話集のなかの主人公である女性たちは「夫や姑に逆らわないことをよしとする」というセリフを劉向に言わせられている。一方で時に強い口調で男性たちに対して諫言もする。

ただし(重要)、それは道徳的正しさに対して男性たちが間違ったときに指摘するものであり、男性に対してやたらめたらにマウントをとるということではない。

列女伝には次のエピソードがある。

曹参(孔子の弟子)が黔婁(清廉さで有名な士)がなくなったときにその葬式に参列している。 、、、史実かどうかは不明。

黔婁は清廉がゆえにあまりモノをもってなく、なきがらを覆うための布団も短い。布団から足がでている。かといって足のほうに布をよこすと頭がでてしまい、頭に布をよこせば足を覆うのに足りない。

それを見て曹参は嘆き、黔婁夫人に対して「布を斜めにすればなんとか掛かるでしょう」と述べるが、夫人は「マナーのない掛け方で足りるよりも、礼に正しく足りないほうがよろしい」とこれをぴしゃりと返す。

曹参これを聞いて「黔婁この人にあってこの妻あり」といたく感心した。

あるいは次のエピソードがある。

楚の隠者のところに王がきて、あなたは有能なのでぜひ取り立てたいと用命する。隠者はそれを受ける。王は帰って行った。隠者の妻が家に戻ってきて、話を聞く。「どうして受けたのですか」と詰める。

「楚の心配ごとを抱え込んで山海の珍味と肉の皿を味わえるとしても、割に合わない災厄であるから。王からの用命を無視しなければ私は別れる」。

夫はわかったと言って王の用命をふいにし、(王の追手にかからないよう)二人で隠遁の生活を守るためにこの土地を去ることを決めた。


あとがき

この『列女伝』の翻訳が最後に中島みどり先生は2001年に亡くなった。中島みどり先生はこの本を訳している途中、中国2000年の礼教社会の女性たちの被抑圧と受難の記憶に思いをはせ、苦痛をもよおし、何度も筆を折るところだったとあとがきに書いている。

う~ん。

確かにマナーが法となったとき、目的合理性を度外視した運営がなされる。それが多くの場合、沢山の人を抑圧し苦しませる。中国社会において女性たちが苦しんできたのも事実と思う。

とはいえ、中国の時代時代によって女性たちの自由度はかなり違うと思われる。宋代が中でも鬱屈な女性抑圧的な面が強いかもしれない。一方で時代にはその時代なりの自由度があるように私には思われる。たとえば明時代には多くの女性作家や詩人が登壇した。

日本にも封建時代があったわけですが、その時代の女性たちが全員、男性社会の抑圧の被害者ということでいいのか。優れた女流文学も女性の生み出した文化もみな「書かされたもの」ということでいいのか。

このような考え方でいけば、アメリカのフェミニスム的な考えに陥るほかないでしょう。つまり、私は○○させられたと告発する女性と、告発される男性という二項対立。社会の間に喧嘩をもたらす思想に陥る。社会の対立をあおるような知識を知恵とは私は呼ばない。

それに対して、道徳の理想的規範は、異なる階級や異なる差異に対して互いに協力せよと説いている。前提として、人と人との間には金銭の格差や体力の格差や諸々差異があるのだから。

論語の士大夫も、列女伝に書かれている女性も、みな儒学者の理想である。現実がそうでないからこそ、こうあるべきだと書いている。

そういった理想が法として固着するわけでもなく、しかし呪縛的な規範をみんなが前提としてのみこんでいる。この間だけ、我々は自由かつ適度に礼節をたもてる。

果たして、理想的規範も何もかも放逐された社会はどうなるのか。男性はこうあるべきだということだけでなく、女性はこうあるべきだという道徳規範がない。あまりにも「解放、解放」だ。

フェミニスムの一派は、女性に自由意志がないように扱っている。すべては男性にさせられたものであって責任は半殺しである。かたやフェミニスムの一派は、女性がmybodymychoiceだ、これをやりたいあれをやりたい、自分がそうしたいと思ったこと、本人が契約したことは何でもよろしいことだ、善きことだと考える。

この二派の中間がない。

女性には自由意志がある。人はある程度自由だ。責任がある。そのうえで、「何もかも許されているが何もかもが益になるわけではない」と言える人がいない。女性がやりたいといってもそれはやめるべきだと言わない。片やそういったことを言うのは、女性の自由への抑圧ややっかみであるらしい。

道徳規範をみんなが知らない。このままいけば封建時代よりも醜き国になるのは当然です。昨今の人は動物だ。それこそ、この社会があるまでに(中島先生がいうところの)抑圧と受難があった女性たちに失礼でないか。ささげし人のただに惜しまる。でしょう。

Image by Lucija Rasonja from Pixabay




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