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『フランス革命の省察』保守思想の問題点

近年保守主義保守主義と口々に言う人を見た。新党が結成されて、しばらくするとグダグダに壊れていく。今年2023年の10月に日本保守党が結成されたわけですが、あまり期待をしていません。保守思想そのものに大きな問題点がある。保守思想に含まれている問題をハンドリングする土壌が日本にはまだ足りないと思うからです。久しぶり、note。

『フランス革命の省察』で、バークは立憲君主制という道をとらなかったフランス革命を断罪し、貴族は文化や国体を保全する階級であるとしてこれを擁護します。

しかし、イギリス人貴族と京都人の言うことを真に受けることほど、この地球上でバカを見る可能性を高める行為はありません。

保守主義にはすでにその思想からして2つの大きな問題点を孕んでいます。

1.英国保守主義という封建主義とその土壌

英国保守主義のスタートはそもそもに封建主義だ。

バークの『省察』が書かれたのは1790年の頃。しかし、その頃すでにノルマンコンクエスト(1060年代)から700年ほど経過していました。バークが擁護したイギリス貴族、今も現役に存在するイギリス貴族とは、このノルマンコンクエストの時にブリテン島にやってきたフランス系武将の子孫だ。

フランス人たちはブリテン島南部を支配した。ノルマンディー公ウィレム1世がロンドンを占拠し、自分の仲のいい武将はロンドン付近へ、そうでない武将を遠くへ配置する。やっていることは関ケ原あとの徳川家と同じです。まさに封建主義。

つまり、バークが擁護している貴族とは、バークが反対している「革命」をだいぶ前に行った側の子孫だ。フランス系武将たちはそれまでのブリテン島の歴史の流れをバキンッと折り、支配者として君臨した。

貴族は、「力」によって手に入れた支配の正統性を誇っている。「ブリテン島の重要事項はこの支配権を持っている人間に任せるべきであって、庶民(被支配者)は黙ってついて来ればいい」。このような高飛車な態度を持っている。だからこそ彼らは民主主義に批判的態度を捨てないし、ノブレスオブリージュを発揮することもできるし、未だに民選されない院を持っているわけだ。

『英国貴族の城館』という本を覗いてみると、貴族の家にはずっと昔の甲冑が飾られているのがわかる。真の英国保守主義者を擬人化するとするならば、彼は甲冑を着ているでしょう。英国スーツを着ていない

さて今日、日本の保守主義者たちに目を向けてみる。「保守党」と名乗ろうと、いちいち民主主義の洗礼を受ける必要がある。貴族もいない。第2次大戦で敗戦したのが手痛かったわけですが、日本には保守主義を声高に叫ぶことは出来ても、実際にシステムとして(貴族院など)実装するチャンスはほとんどないでしょう。日本保守党はLGBT問題と減税に興味があるようだし、保守主義を政治システムに実装する気配もない。

もし保守主義を実践している人たちがいるとすれば、それは世襲議員の人たちと言えるかもしれない。彼らは土地と家柄を既に持っており、かつて議員をつとめた父から帝王学を学んでいる。その上場合によっては祖先は戦国武将だったりもする。こういう人たちのほうが、百田尚樹先生などよりも実は英国保守主義者に近い

このような、まさに文字通りの特別な家柄と、自分は特別であるという意識とを持つ階級は、時間を経ないと出てこない。長い平和を勝ち組として継続する家柄でないと、ノブレスオブリージュが育ちません。会社の社長1世から3世ぐらいを見ててもわかるとおりにギラギラしている。自分がこの会社を興して危機を乗り越えてきたという経験を捨てられないからです。もしこれが10世とかになると、「今の地位は、まさにこの自分が勝ち取ったものではなく、「祖先の遺産」だと考える

自分は特別であるから他者を率いなければならないという高飛車な意識と、自分はたまたま特別であるがゆえに他者を率いるのだという謙虚な義務感とを同時に持つ人の登場には、時の流れを要するほかない。そのためには長い平和が必要だ。日本の敗戦以降から数えると平和は、まだ80年しか経っていない。保守主義が成立する土壌が足りていないでしょう。

2.モテない人たちと保守主義者は協力できるか

学園祭などでよく見てしまう場面。一軍・陽キャとよばれる人たちが「やる気ないなら帰っていいよ」と今まで無視・蔑視していたそのほかの生徒に対して圧力をかける。こういうことを言うのは特に女子に多い気がしますが。

クラスで団結して一つの思い出を作りたいという気持ちに素直なのはいいかもしれない。しかし果たして、そのようなやり方で協力するでしょうか。第一、普段は仲のいい人同士、「自分たちはイケている」と思う人たち同士でつるんでいるのにも関わらず、いざという時だけ都合がよくないでしょうか。このような問題が保守主義には立ちはだかっている。

『道徳的人間と非道徳的社会』ラインホルド・ニーバー著。この本でニーバーは、何も持っていなかったロシア農村階級がロシア革命をおこし、ロシア農民よりは多くの権利を得ていた西側の労働者階級がマルクシストの呼びかけ「労働者よ、団結せよ」に応じなかったことを指摘する。ロシア農民はロシア社会から得られる恩恵がないがために、社会を破壊する方向へと進んだ。一方で西欧の労働者らは、ロシア労働者よりも若干良い待遇にいるがゆえに革命に手を出さなかった。

今日、日本を含め先進諸国では、インセル(非自発的禁欲者)や反出生主義者を含む人生悲観論者らのように、そもそもこの社会を継続するのに協力したいという意欲が少ない人たちがいる。その社会の構成員であるのにもかかわらず、この社会での恩恵が少ないと考える人たちが、その社会の発展継続に力を貸したいと考えるでしょうか。むしろ社会など壊れてしまえばいいと思うかもしれない。

保守主義はそもそもに、すでにこの社会において恩恵を受けている階級が、その恩恵を継続させていくための思想でもある。だからこそお金持ちや貴族たちは減税を主張する。実際には再分配が必要だろうと思われるときにでも減税にこだわります。その結果としてイギリスは、アメリカとならんで非常に格差が激しい国の一つになった。日本の格差はそれらと較べて、まだそうでもない。

フランス革命の頃はひどい格差があったわけですから、場合によっては彼らが拒む革命を、保守主義者自ら呼び寄せる可能性さえある。保守主義者たちはつまり、その社会が好きです。しかしながら、今の社会があまり好きでないという人達は改革派を応援する傾向にある。保守主義者らの中には改革派の人々を抱合する寛容さを持ち合わせない人たちもいる。ここあたりが政治的妥協、現実にあわせた柔軟性が必要になるところでしょう。

日本保守党は保守主義を自称しているけれども保守思想自体がもつ問題点をうまくハンドリングできるでしょうか。第一の問題点は保守思想成立の土壌が浅いのではないかという点。第二の問題点は、この日本をあまり好きではないという人たちまで歩み寄れるかという点。うまくいくか、疑問です。


PfüderiによるPixabayからの画像





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