やるせない
人は、人からしてもらったように、人にする。
優しさを得て、私はよりいっそう他人に優しくできる気がする。
よりいっそう、お客様に優しく冷えピタを貼ってあげられる。
今までの私は、してもらったようにしか、してあげられてなかった。
男の多い、強い一族だ。
そこに嫁ぐ女性も、現実的で、客観的。
色々苦労はあっただろうが、基本的に強い人ばかりだ。
そんな中に産まれた久しぶりの一族の女としては、
私は優しすぎた。
規模を小さく見ると、うちの親は医療関係。
医療関係の人は、体調不良に対して案外シビアだ。
体の弱い私は、よく熱を出すが、
重症度はどれくらいか、
病院が、医療が、薬が必要かどうか、
まずそれが精査される。
そしてたいがい、そんなもの必要なく、食べて寝ていれば治る程度のものなので、
また風邪ひいたんか、というリアクションなのだ。
子どもに対して、心配って偉大だ。
言葉や態度で心配をもらえない上、病院や薬としても心配が目に見えない。
これはなんとも、心細い話だ。
ずっとそうだったし、そんなものと思いながら、
心配されない、という部分を、おそらく拗らせて生きてきた。
だから私はお客様に対して、
医療的に必要かどうかの視点をまず入れてしまう。
頭では、心配すること、少しホッとしたいだけ、など、ほとんどが医療の必要がないことを知ってる。
自分に余裕がないとき、そういったお客様に少しキツく接してしまう。
それを嫌だと思っていた。
そりゃあね、されたことしか、できませんから。
コロナでも、
重症度の判別、今後気をつけること、
嫌味のような回復の指摘、心配のない言葉。
父がコロナの時は、私はひたすら心配のメッセージを送った。
お前だけが心配してくれる、と言ったのではなかったか。
そりゃあ、相手にこんな接し方する人、誰も心配しないだろうよ。
その、私の、心配を受けて、さらにこれなのか。
一族には優しい男性がいた。
小さい頃から、やたら私を可愛がってくれ、
私はその受け入れ方がわからなかった。
優しい男性は、この環境の中で元気で生きて、いることが難しかった。
今ではわかる。この強い一族の中で、優しく弱い同じ苦しみを見出してくれてたんだなぁ。
もう1人、優しい男性がいた。
一生懸命を叱られるばかりのその人は、少し離れた関係の優しい人に救われたが、
自分がされたように娘にしてしまうので、
娘が辛くなってしまっている。
この一族は、優しさを殺す。
一族の問題なのか、時代の問題なのか。
優しくて、弱くて、心配してほしくて、
何が悪いんだ。
ひま。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?