社会人3年目のわたしと、しばらく忘れていたこと。
noteを書くのがご無沙汰になってしまった。久しぶり。アカウントを開いて、タイムカプセルを覗くような心地で、社会人1、2年目のかつての自分が綴った文章を読んで、そのフレッシュさや意気込みを思い出した。その時々で思ったことをことばにして残すことって、素敵だね。その時は頭の中の大部分を占めていることも、時間が経てば変わったり色褪せたりして、思い出せなくなる。
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社会人3年目。この半年を改めて振り返ると、多忙を極めていたのは間違いないと思う。4月から、組織改変・体制変化による業務拡張(別部署からと先輩から業務がおりてきた)、新人の教育担当が加わって、カツカツな毎日を過ごした。正直なところ、かなり無理が生じていた。残業が2時間3時間…と増えていき、帰って疲れと眠気からご飯もテキトーになっていく日々。精神的ゆとりがなくなっていき、周りから急かされたり自分のせいで業務を止めてしまったりする現実に自己肯定感を失っていき、もう限界だ…と思ってしまうタイミングが何度もあった。けど、自分の限界を認める怖さ、悔しさ、辛さ、不甲斐なさ、情けなさがあって、周りに強く言い出せなかった。先輩や同期はもっとたくさんの業務をこなしているはずなのに、弱音を吐かずにやっている。一方のわたしはなんなんだ。この程度で「しんどいです」「限界です」「キャパオーバーです」と言っちゃうなんて、そんなの甘えすぎではないか。もっと効率的にお仕事して、キャパを広げていかなきゃ。そうやって半年、自分を自分で奮い立たせて、時には褒めて、讃えながらなんとか頑張ってきた。
でも、ついに限界が来てしまう。夕方17時になると、定時で帰るのが無謀すぎて、そんな自分の力不足さが突きつけられるようで、事務所で涙が溢れてしまうことが増えてきた。気持ちの整理ができなくて、更衣室やお手洗いで1人しくしく泣いた。
そんなとき、周りの人にわたしは救われた。最初にきっかけを作ってくれたのは、おかあさん。しんどさが極まった日、お母さんに泣きながら電話をかけた。話を聞いてくれて、慰めてくれて、できないことは先輩にお願いしてみることから始めなさい、と言ってくれた。翌日、小さなことではあるけど、先輩にじぶんのキャパや今日やらなければならないことを伝えて、無理な業務をお願いできた。それから、やさしい先輩方にもわたしは救われた。業務を調整してくださったり、働き方を気に掛けてくださったり、いろいろな形で協力してくださった。こんな力不足なわたしに手を差し伸べてくださって、肯定してくださって、お仕事のできるかっこいい先輩方。尊敬できる先輩方に囲まれて、わたしは本当に幸せ者だし、このありがたみを絶対に忘れちゃいけない。恵まれていることに感謝しなきゃ。
そんなこんなで、今のわたしはやっと肩の力を少し抜いて、落ち着いて業務に取り組めるようになった。対処しなければならない業務に着実に手をつけて、理想とは言い難くとも、まあまあのペースで進められるようになった。視野も広がって、業務の幅も広がって、社内外あらゆる人から連絡をいただくようになって、頼ってもらえてるかな、とおこがましくも思える瞬間もあるくらいには、成長を感じられる部分もある。そんな瞬間は、シンプルに嬉しい。大学生のときは、上昇志向の強い人、成長を語る人が苦手だったのに、社会人になれば、わたしがそっち側の人間になっていた。不思議だね。
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今日は3連休最終日。1人で気になるカフェにお邪魔してきた。ケチくさくて、自分の部屋に篭りがちなわたしが、そこから飛び出すのはじぶんでもちょっと背伸び感があって、くすっとしてしまった。
1人でカフェに行こうと思ったきっかけは後輩のお話。職場の後輩と先週話したとき、休みの日は1人でいろいろなところに出掛ける話を聞いた。その話を聞いただけで感化されたわたしは、ずっと気になっていたお店に足を運んでみようと思ったのだった。
実際、行って心の底から良かった。そこは、基本的におしゃべりNGな空間で、まるめがねのお洒落マスターが準備をするかちゃかちゃとした食器の音、静かなBGMだけが流れていた。全部で20席くらいかな、味のある椅子が置いてあった。でも、どの椅子も誰かと目が合わないように置かれていて、周りの目を気にせずに、本を読んだり、書き物をしたり、ぼーっとしたり、目の前のことに没頭できる。本を読める、誰の目も気にしなくていい、落ち着ける静かな空間、おいしいコーヒー。わたしの好きのかたまり…。ガトーショコラとアイスチャイを頼んだけど、ガトーショコラ美味しすぎないか…。どうやって作ったんだ。これまで食べたガトーショコラで一番美味しかったぞ…。マスターが作ったのか?上手すぎないか?何者なんだ…。
そしてそこで出会ったのは、これまた素敵なエッセイ。このカフェには、マスターが集めた本がたくさん並べてあって、中でもマスター一押しっぽそうだったのが、糸井重里さんの『ボールのようなことば。』。これがもう…わたしがしばらく思い出せなかった、わたしの奥底に閉じ込められていたものを放出させた。問いの宝庫だった。
大学生のとき、「対話」「コーチング」とかに興味があって、授業をとったり学生団体の活動をしたりしていた。専門的な知識や技術は正直ないけど、誰かとじっくり問いに対していろんな角度から考えるよろこびが好きだった。悩み相談相手になれるのが嬉しかったし、そういう経験を積むことで技術も少しは磨かれたと思う。
でも、社会人になってからその力が低下したのを感じたのも、実は直近の出来事。大学の時からの友達と久しぶりに先週会って話した。そのとき、かつて深く語り合えてたはずのじぶんの聞く力、話す力の低下を痛感したのだ。とても悲しかった。
そんなこともあって、糸井重里さんのこの本は、今のわたしにとってかけがえないものになった。日々感じること、考えることを止めないで、問いを拾って、ことばにしていくこと。そのことばを書き記して残しておくこと。改めて、じぶんの大切にしたいことに気付けた。今日という日がこんな日になったのも、外に出ようと思わせてくれた後輩のおかげだし、行動したわたしのおかげだし、前向きにさせてくれた先輩方のおかげ。遅すぎることはないはず、最近堕落してしまっていたわたしを磨いて、高めていこう。そして、またあのカフェにお邪魔しよう。
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