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どのように自分を守るか、について
突然ですが、私はそれなりに生きるのが上手いと思っています。
これは別に、有名大学に入って誰もが知る有名企業に入って昇進をして、とか、そういうのではないです。ただ単純に生きるということにおいてトラブルもなければ妥協もなく心身平穏に過ごしてこれたし、その方法を知っている、ということ。
きっとこの記事に辿り着いた人は、タイトルにある「自分の守り方」に足掻いている人だと思います。そうでなければ私のファンですよね、ありがとう。あなたの役に立つかは保証できませんが、私の「方法」を書き連ねていきますので、どうぞよろしくお願いします。
序論
さきに断っておきますが、これから書く文章は、たとえばビジネス書において「上司としてこのような行動をしなさい」とか「できる経営者はここが違う」とかといった表題で書かれるような、まるでそれが正解であるかのように押し付けがましく言ってくるアレと、だいたい同じです。たいそう長い文章が書いてあるけど、基本は上にある目次のことだけ。急いでいる方は、直接結語まで飛んでいいです。
ただひとつ違うとすれば、そうだな、あなたはこうあるべきですという論調ではなく、こうあってもいいんですよという論調である、という点くらいでしょう。
そもそもなぜこんな記事を書こうと思ったかですが、実は私は最近まで、自分が生きるのが上手い側だとは思っていませんでした。誰もが自分のように生きていて、自分を守る術を持っていて、それに苦労していないと信じていたし、そもそもそれに苦労するという概念すら知らなかった。ところがある時、自分の「自分の守り方」を(さも義務教育でやったでしょという感じで)人に話したことがあって、「それ、どうやるの?」と言われてハッとしました。これ、できない人いるんだ、と。
もちろんできないことは悪ではないし、できることが偉いわけでもない。ただそこに多様性があるということを知ったのです。
なので、じゃあ自分の「自分の守り方」をちょっとした文章に書いてみて、もし役に立つならそれもよし、別の方法があって意見がもらえるならそれもよしと思って、この記事を書こうと決めました。
(もう一つの理由は、この記事を書いている翌日が休みだからです。夜更かしサイコー)
そんな私の「自分の守り方」に、しばしお付き合いください。
1. 最高意思決定機関に自分を据える
端的に言うと、自分勝手とか自己中心的だとかそういうやつです。社会的には嫌悪されますが、これ私はすごく重要な鎧だと思っています。
もちろん、集団生活の上で利己的な行動は嫌悪されます。それは当然、集団のことに対して自分を持ち出すわけですから言語道断です。でも自分のことを決める時、最終決定を下すのは自分自身でありたい。仮に100人中99人がバニラアイスを買っても、自分が抹茶が好きなら1人で抹茶アイスを買うべきです。自分のことをこの世で一番理解しているのは、親でも恋人でも友人でもなく自分自身なのだから、自分自身が筆頭株主であって、決定権を持つべきです。
「それができたら苦労しないよ」という意見もあると思います。そういうあなたにも、何かあなたの中で譲れない一線ってあるのではないでしょうか。
たとえば一度床に落ちた食器は絶対に使いたくないとか、休日には仕事のことを考えたくないとか、あるいは卵焼きはケチャップがいいとか。そういう一線を踏み越えられそうになった時、まずその線を越えることを許さないという自分自身の気持ちを尊んで、拒んでみる。あるいは意思表示をしてみる。それが道理に適っているなら、相手はきっと主張を尊重してくれます。尊重してくれないやつはチンパンなので、気にするだけ無駄です。
※もしかしたら尊重されはしても「そこは何とか折れてくれないか」と言われるかもしれません。それは場合によりですが、しっかり自分の信念を持って「仕方ねーな、特別だぞ?」の気持ちを持つとよいと思います。何度も言いますが、最高権力者はあなたです。
2. 周りはみんなバカだと思う
みんなが1のように自分の意思を尊重していると、時々衝突することがあります。特に仕事なんかだとよくありますが、上司はああ言っているけど、自分はそうではないと思う、とか、自分が言ったことに対して同僚は難色を示してきて反論される、とか。
そんな時、まずはみんなバカなんだなと思ってみる。思うだけですよ、絶対に言ってはいけません。
だってあなたを納得させられていないのだからバカです。あるいはあなたの理路整然とした説明を一切合切理解できないのだからバカです。相手が上司でも先輩でも構いません。肩書はバカの前に無力です。そういうふうに取り敢えず思っておくことが重要です。
では本当にその人がバカかというと、それは別の問題です。もしかしたら相手の主張の方が正しいかもしれないし、実際そうであるケースも多々あるでしょう。それでも、相手が説明責任を果たしていないならバカだし、あなたの主張の穴を指摘できないならバカです。
でももし相手の説明が十分で、あるいはあなたに対する反論が正確で、あなたがそれを理解して受容できるなら、納得できるなら、それは第三者から見ればあなたが間違っていたということになるでしょうが、実際のところそれはあなたの考えが変わったということで、あなたは正しいままなのです。そういうことにしておくと、とても気が楽になります。
とにかくまず自分が正しいと思ってみる。そして自分が正しいと思うことを主張して、さあ打ち負かしてみよと仁王立ちするのが大事です。これは、あなたがナヨナヨした意思のない軟体動物ではなくて芯のある大樹であると周囲に知らしめることにもつながります。さすればあなたは、より自分の信念を開示しやすくなります。
3. 甘やかしで居場所を守る
自分が偉い、自分が正しいとは言っても、やはり事実はそうでない場合が往往にしてあります。それに気づくと、にんげんはおろかないきものなので、やっぱり自分はダメなんだとか、もっと成長しなければとか思って追い詰められていく時があります。つまり自分自身を自分の敵にしてしまう。
これは特に真面目な人とかしっかり者でよく起こると思います。実際私もこういう気持ちになることは多いです。まじめなので。
自分は間違っているのにまわりをバカだと思っていいはずがないとか、自分の意思を通してはいけないのではないかとか考え出すと、自分の中に自分を攻撃するガンが生まれて、瞬く間に蔓延ってしまう。こうなると1も2もやれなくなります。
そうなる前に私がお勧めするのは、とにかく自分の居場所を自分の中に用意すること。そしてそのためにはダブルスタンダードや自分への甘やかしも厭わないことです。
散々反論されて言い負かされてしまったとしても、「いや初めの説明が悪かっただろ」とかいう理由をでっち上げて、自分の罪を軽くする。あるいは自分が無力で何もできなかったとしても、とりあえず結果そのものはオーライだというところで落ち着いてみる。たとえ後で1億払う必要があっても。
自分はここにいていいんだという確証と安心を自分の中に設けて、必要があれば飴をたらふくやって、反省はその後でも十分です。そして反省して改善しようと思うその自分の向上心にもう一回くらい酔ってみてもいい。テストで30点しか取れなくても、苦手な記述で部分点をもらえたこととか、4択から絞った2択までは合ってたことを一回喜んで、それから復習すればいい。
自分が壊れてしまわないための甘やかしを、私は甘えだとは思いません。むしろ甘えてはいけないという綺麗ごとに酔って自己を卑下し、悲劇のヒロインぶって「そんなことないよ」を待つ方がよほど甘えだと思います。
結語
以上、私の自分の守り方
最高意思決定機関に自分を据える
周りはみんなバカだと思う
甘やかしで居場所を守る
でした。人生・酒の肴・批評議論のタネでもなんでも何かの役に立てば幸甚です。
そういえば、たまにメンタル系の本に書いてある「自分を可愛がる」というのは、実のところこれらに過ぎないと思っています。別に自分のことをすごく可愛がってナルシストになる必要もなければ、自分の全てを許して飄々と生きろというわけでもない。自分自身の意思、主義、功績を尊重する意思があるのだということを、自分の中でしっかり確立する。自分は自分の唯一、そして最大の理解者であることを忘れない。それだけ。
これでも尚「それができれば苦労しない」という人もいるかもしれません。あとはどうしても自分のことを尊重できないとか、自分を許せないとか、そういうことがある人もいると思います。それでもあなたは、私が今ここで自死を選びなさいと言っても死なないはずですから、少なくともそこに「越えさせない一線」を持っている。そういうところから、少しずつあなた自身のことを大事にしていって、あわよくばちょっと欲張ってみてほしいなと思います。
それでは長い文章となりましたが、最後までお読みくださった方にクソデカ感謝を申し上げます。目も疲れたでしょうからちょっと空を眺めて、コーヒーとか飲んで一服して、人のnoteを読むというタスクをこなしたあなたに何か一つ、ご褒美をあげてください。このnoteは授業ではないですが、ご褒美をあげるということを宿題として、この記事は締めたいと思います。
八田灰景