感情障害のわたしが中途半端を目指す理由
はじめまして&いつもありがとう♡いつも微熱してる微熱と申します。
なぜ、中途半端を目指すか
ズバリ、わたしは感情障害だからです。
ちょっとした自己紹介というか、病歴紹介になりますが、話を暗くするつもりはありません。
ハタチの時「パニックに陥りやすい性格」「理想と現実がかけ離れやすい性格」と診断(?)されてから、5年後、ドイツの病院で「双極性ですよ(ドイツ語)入院してください(ドイツ語)」と言われ、そのまた5年後に「躁鬱病?いや、いまは感情障害と言っておきましょう」とのこと。
ここで、どの先生の言うことを信じればいいの!?キーーー!となるのは昔の私。
いまは「どんな病気でも移り変わるのだ。人生のように」と達観している。
中学生が高校生になり、高校生が引きこもりになり、引きこもりがニートになるように、所変われば品変わる。時が流れて病名も変わる。
話を元に戻すと。
私が中途半端を目指すのはかかりつけの精神科医とそう決めたから、というだけだ。
先生は淡々と話してアドバイスしてくださる。
微熱さんのような感情障害を持つ方は、1か10か。はたまた0か10かと言うくらい極端な行動に出ることがあります。気分が乗った日は悠々と朝から晩まで動き回ってしまい、次の日に「ツケが回って」1日ダウン。これは感情の波を大きくゆさぶることになります。
お風呂をイメージしてみてください。お風呂に入っている時、突然ザブン!と入ったり、突然立ち上がったりすれば大きな波が立ってしぶきとともにお湯が湯船の外にこぼれますね。このとき、体は日常でやること、お湯は感情を表していて、お湯が溢れたということは「感情が溢れた」ことになります。
感情が溢れる・・・?
ブチギレたり。
なるほど
叫んだり、動き回ったり、破壊したり?します。微熱さんの場合は、です。人によって異なりますがそれが多いです。
それでは、お風呂にはそーっとそーっとはいるということですか。
そういうことになります。毎日、習慣的に4・5・6くらいを目指すのがよさそうです。いつも中途半端にしておこう、いい加減でやめておこう、と唱えるようにしてみてください。日常を規則的にゆっくりと過ごすことで、おだやかな働き、休むのサイクルができあがり、感情も落ち着きます。
いい加減でやめておこう!?熱血生徒会長も真っ青、というくらいのセリフじゃないか!人生、できるだけ刺激がないように生きろと言うことか!
と言うかそもそも刺激ってなんだろう。刺激を求めるってなんだろう。と帰り道に考えた。
お酒を飲むくらいしか思い浮かばなかったので保留にしておいた。
4・5・6位を習慣にすれば、波が立ちにくい、感情が溢れにくい生活ができます。
だから私は調子が良くて、いけいけどんどんな日でも、これくらいにしちゃおう、って途中から投げ出す。突き詰めない、先を求めない、完璧にしようとしない、もっともっと、と言う声に従わない。
そして、どんよ〜り布団が30年来の心友と成り果てた日だとしても、落ち込まない、責めない。まずは寝て、気が済んだら天井を見て深呼吸していればおきられるようになる。できない日もあるけど。
中途半端って悪いことじゃないの?自分が情けなくならない?
たまに情けなくなる時がある。バリバリ働いている同い年の子とライン電話とかするとがっくりきてしまう時もあるけど。それでも、これが一つの治療法なので、いい/悪い関係なく試している訳です。そして結構いい効果が出てきてると思います。
感情障害ってなにかな
感情のアップダウンとその継続期間が極端すぎて日常生活に支障がある状態にまでなること。感情のアップダウンがあることは人間として当たり前だけど、この当たり前が過剰になるとすごい。海がいつもそこにあるのに津波になると恐ろしいように。
飲み込まれるかも、という恐怖から逃れるように日々生きていると書くととてもシリアスだし、ちょっとわがままに叫んじゃうけど許してね★なんてコミカルに言うこともできる。へんなもの。
なんでなっちゃったのか
原因は簡単に一つとは言えなくて、私の遺伝的なもの、つまり性格とか、責めるわけじゃないけど両親とか、責めるわけじゃないけど私の考え方とか。そういういろいろが織られて一枚の感情障害という布が出来上がってしまったような感じ。強靭な布だから、なかなか破れたりはしてくれないけど、それをバッグに縫い直して日々使うなんて便利なことできないかなー。って
今日はゆっくりお風呂に浸かって考えているところである。