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過去を許して少しずつ前に進む
最近、そんな考えが頭に浮かんでは消える。
過去を許せないなんて、ナンセンス。過去はもうないんだし、未来はこれから来るんだから今を生きなきゃ。
そういう言葉もよく耳にするしとても納得がいくけど、実際に過去を忘れてすべてなかったことにすることなんてできないのはなぜだ?
なかったことにしなくていいから、せめて許すことはできないの?
なーんて、考えてみたりあきらめたり、また考えてみたり。
朝、コーヒー豆をゴリゴリ削りながらとりとめのないことを考える。
先日、りんごの絵を描いた。
りんごは長野の名産。そこら中に売っている。それもとても安価に。
だから、長野県民にとって、りんごは全く特別ではないもの。むしろ、お湯に浮かべて風呂に入るほど、有り余っているのですよ!
ありあまるもの。余るなんて、言い方は悪いけど、実際に余っているもの。
必要、の外にあるもの。
そうかんがえると、このりんごは少なくとも、幸せかもしれない。
私に見られて、数時間も数日間もみられて、最後にはおいしくたべられたのだから。
朝陽をあびて、綺麗に光っている肖像画をかいてもらえたんだから。
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ちなみに、同じりんごでほかの時間帯に描いてみた。
同じモデルでも待ったく違うものに見えるのが面白い。
天気や光のせいなのか。自分のこころのせいなのか。
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それでも、過去を許し始めたのかなって思うときはある。
最近、寝るときに横になって、左を下にして枕を頭につけたとき、この上なく幸せな温かい気持ちになる。そして、布団を目のところまでかけて小さく息をしながら、やっぱり過去のことを考える。
かつては、悪いことばかりが浮かぶときもあった。そのために涙をながしたり遅くまで眠れなくなったりしたことも。けれど、今はそうではない。でもいいことが浮かぶわけでもない。
単に、いいと悪いの差がなくなってきたのだ。線を引かなくなった、というか、引けなくなった。その線が薄くなってそれももうどうでもよくなってしまったのだ。
昔、哲学者の人と会って話す機会があった。その人に、若い思考とそうでない思考の違いを聞いた。すると返事は
壊れたベッドが許せなくて直そうとするか、壊れたまま納得して使うか。
とのことだった。この線もそういうことかもしれない。
線自体はもう薄くなって見えない。それをあえて引き直そうとする体力も気力もない。
ただ、こういうことがあったな。そしてそれはもう過ぎたな。
そのように思い出されるのである。
それはすごく心地いいし、何も気にすることはない。
ただ、流れていく川を見るような気分。あれもあった、これもあった、と他人事のまなざしで見ているとだんだん眠くなりぐっすり寝てしまう。