verve nakajima ジョアン・ジルベルトの詩的人生

ジョアンの知られざる道を辿ります。ご一緒にどうぞ。 著書"JOÃO GIL…

verve nakajima ジョアン・ジルベルトの詩的人生

ジョアンの知られざる道を辿ります。ご一緒にどうぞ。 著書"JOÃO GILBERTO COMPLETE TRANSCRIPTION"のページ https://joaogilberto.jimdofree.com/

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最近の記事

人生を変えたサン・クリストヴァンの町

アラカジュでの中学生時代、ジョアンは学校をさぼって10kmほど離れたサン・クリストヴァンの町に通っていました。しかし残念ながらジョアンの歴史にサン・クリストヴァンの町が出てくることはありません。なぜこのノルデスチの古都がジョアンの人生を変え、ジョアンの音楽に色濃く反映されたのか少しだけ考察します。

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    • アラカジュで凱旋ライブ(1960, 1996年)

      1960年11月、すでに2枚のアルバムの大ヒットで時の人となっていたジョアンは思い出のアラカジュに帰りTeatro Ateneuでコンサートをしています。1996年には2回目のコンサートをEMESで開催しています。コンサートでは中学時代の師や友人たちとの再会をしています。

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      • 1946年、Juazeiroで「Enamorados do Ritmo」結成

        1945年に故郷Juazeiroの隣町、Senhor do Bonfimで高校に入学したジョアンですが、すぐにJuazeiroに帰ってしまったようで、そこで仲間を見つけ「Enamorados do Ritmo(リズムの恋人たち)」というグループを結成、15歳の頃です。その後、町のクラブで初めてのステージを始め人気者になります。ここからジョアンのミュージシャン人生が始まりました。

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        • NEWS

          5月5日(日)J-WAVE「サウージ・サウダージ」ON AIR ソフィア・ジルベルトのデビュー曲で僕がギターを弾いている「Canta João no Japão」が滝川クリステルさんより紹介されます。 番組HP https://www.j-wave.co.jp/original/saude/ 4月12日(木)Sofia Gilbertoのデビュー曲にギターで参加 ジョアン・ジルベルトとアストラッド・ジルベルトの孫でリオデジャネイロ在住、8歳のソフィア・ジルベルトがデビ

        マガジン

        • 1942-45Aracajuの中学でギターを始める
          3本
        • 1946-49 Juazeiroに帰りグループ結成
          2本
        • ライブ情報・お知らせ
          2本
        • 1931-42Juazeiroでの子供時代
          6本
        • 1957-58 二度目のリオへ、大ヒット前夜
          1本
        • 1950-51 Rioで歌手としてレコードデビュー
          1本

        記事

          1945年、Senhor do Bonfim市で高校入学

          1945年にAracajuのJackson de Figueiredo中学を卒業したジョアンはバイーア州に戻りJuazeiroの隣にあるSenhor do Bonfimの町で開校されたばかりのGinásio Sagrado Coração高校に入学します。その頃の写真や入学試験の成績表が残っています。

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          1945年、Senhor do Bonfim市で高校入学

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          ジョアンが小学校を退学になった話

          ジョアンが小学生の時の先生、ルージズ・ドゥアルチ(Lurdes Duarte)さんは99歳になってもジョアンジーニョのことをよく覚えていました。ジョアンが小学生の時にどんな子だったのか、どうして退学にさせたのか語っています。ルージズ先生はこのドキュメンタリーでインタビューを受けた約2年後の2018年に101歳で亡くなっています。ここでは退学の理由を簡単に書き、インタビューのリンクをアップしますが、インタビューはポルトガル語です。あらかじめご了承を。

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          ジョアンが小学校を退学になった話

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          ジョアンの兄弟姉妹

          ジョアンは6人兄弟でした。プライバシーの問題もあるので名前と順番だけ写真を交えて紹介します。それだけです。有名なのはディアマンティーニャの家に不遇な時代のジョアンを居候させてあげたダダイーニャですね。

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          LIVE SCHEDULE

          11月7日(木)Cotton Club 甲府 「Keissy Costa 日本公演2024」 去年に続きケイシー・コスタがジャパンツアーで来日します。そして今年は念願の甲府公演が実現!詳細が決定しました。11月7日の木曜日、午後八時開演。MC3800円。十年前の「甲府ジャズストリート」でも甲府のコットンクラブに出演しているので2回目の甲府です。ケイシーもとても楽しみにしています。ケイシーはブラジルでヒット・ソングを持つシンガー、テディ・マックスを父に持ち、7歳の時に来日。

          唯一のUnknown Title (1958)、この名曲を弾いてみる

          オデオン(wiki)のカメラマンだったシコ・ペレイラ(Chico Pereira)の自宅で1958年初頭に複数回にわたって録音されたと思われるジョアンの弾き語りが2009年に公開され世界が驚愕しました。29曲のうちの2曲目は誰が作った何と言う作品かいまだに解明されず、ジョアンが録音を残した曲の中で唯一「Unknown Title」とされています。歌のないインストなのでジョアンの単音も含めたコードワークが光る名曲です。この「Unknown Title」を採譜してYouTubeに

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          唯一のUnknown Title (1958)、この名曲を弾いてみる

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          アラカジュの中学校に入学

          アラカジュはセルジッペ川のほとり、大西洋に面した美しい町。バイーア州の北隣、セルジッペ州の州都です。ジュアゼイロには小学校しかなかったのでジョアンはこの大きな町の中学校に入学します。ジョアンの生家もジュアゼイロの町の中心の聖堂がある広場に面していましたが、アラカジュの学校「Colégio Jackson de Figueiredo」も同じく町の中心の大聖堂「Metropolitan Cathedral」がある広場に面しています。中学生の時に歌っていた曲、ジョアンにギターを与え

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          ジョアンのお父さんとお母さん

          ジョアンの音楽的才能は両親から伝わったDNAなのか知りたくて、そして、ジョアンは孫のソフィアのことを「僕のお母さんの生まれ変わりだ」と言っていた理由を知りたくて調べてみました。 この有名なお母さんの写真はサン・フランシスコ川のほとりに立つ1940年頃のものです。 ほとんど世に出たことがないお父さんの写真と、ソフィアに面影を残す若い時のお母さんのお写真がみつかりました。

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          ジュアゼイロのキーパーソン、マウリシオ

          メディアがジョアンとジュアゼイロの関係を語る時によく登場するのがMaurício Dias(マウリシオ)です。彼はジュアゼイロ市の文化観光スポーツ部長をしていたので町の歴史にも詳しく、ジョアンの生家だった「Casa de Bossa Nova 」の運営責任者をしています。彼はジョアンが1970年代にジュアゼイロに帰省した時に友達になり、その後もジョアンが帰省すると会い、ジュアゼイロのバーで朝まで一緒にギターを弾き歌っていたといいます。彼はジョアンの音楽や歴史を研究し、故郷から

          ジュアゼイロのキーパーソン、マウリシオ

          ジョアンの親戚、日本にいるバイアーナ

          クラウジア (Claudia Morikawa) は福岡でDJをする日系人。しかもジョアンと同じバイーア州のジュアゼイロのサンフランシスコ川のほとりで生まれ育ったバイアーナです。クラウジアは福岡の「LOVE FM」でブラジルの音楽や文化を紹介しているとっても明るくて可愛い女性。ある日、クラウジアは番組でも紹介していたジョアンが自分の近い親戚だと知り驚きました。クラウジアのインスタはこちらです、2021年3月6日の投稿でその時の驚きを知ることができます。  クラウジアと知り合

          ジョアンの親戚、日本にいるバイアーナ

          ジョアンが生まれた家のストリートビュー

          ジョアン・ジルベルト生家のストリートビューです。現在は「Memorial Casa da Bossa Nova」としてジュアゼイロの文化観光スポーツ局が管理し、ジョアンの写真・レコード・文献でこの偉大なアーチストの功績を世に伝えています。 ストリートビューです、クリックしてご覧ください ジョアン生家の立地 ジョアンは1931年6月10日にバイーア州ジュアゼイロに生まれました。お父さんは成功した商人だったそうで、家は街の中心、市庁舎から500mほどの一等地に残ります。道を

          ジョアンが生まれた家のストリートビュー

          世に残るジョアン・ジルベルト最初の声?

          今までジョアンのレコードデビューは1951年のGAROTOS DA LUAのメンバーとしてリリースした「Quando você recordar / A mar é bom」だと考えられていました。同じ1951年にもう1枚「Anjo Cruel / Sem Ela」もリリースしています。 ところが1950年のEP「Recruta Biruta / Bateria Sentido」A面の「Recruta Biruta」では途中からのソロの声がジョアンが歌っているような感じがし

          世に残るジョアン・ジルベルト最初の声?