「ヴ」が無くなる社会
ネットニュースで世界の国名表記において「ヴ」を廃止すると外務省によって決定されたと知った。理由は発音が難しいから、分かりやすくとのこと。固有名詞等では引き続いて使用しても良いという記事を別途見つけたので金輪際「ヴ」が無くなるわけではないと安心してもいいのか?
私のTwitterアカウント名もカタカナ表記にすれば「ヴェロニク」であって、「ベロニク」ではない。
国際競争力の戦力になるような’人財(あえて人材とは書かない)’を経済界が欲しているのを受けてか、小学校からの英語教育に躍起になる一方で、日本語式発音に馴染まない音を無くすとはこれ如何に。
東京五輪の「オモテナシ」は最新翻訳機器で乗り越える。百歩譲ってこれはヨシとしよう。いま簡単にネット検索したところ、1台3万円前後の模様。どこかの企業がボロ儲けするのだろう。ただ、この4月からは入管法改正に基づいて外国人労働者の枠を広げようという国が自国のたった50音にしがみついている様は頂けない。「運動会」と「生活」では次元が異なる。相手の言葉を覚えてから労働者を迎え入れようなんて体制が整っていないことは自明の事実である。
ただ、このこととは対照的にやたらとカタカナ語を振り回す日本人もいることも確かである。これは、カタカナ語にしてしまえば国民の大半は意味がわかるまいという最近の政治家の十八番のようにも感じる。
「分かりやすい」が正しいは危険な思想だと思う。分かりにくいことに対しては思考停止するというなんの面白味もない社会だ。こうして排外主義的な国民性が助長されていくのを憂う。
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