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アイデンティティーについて考えてみた

どうも、スロバキア出身のベロニカ(@verodesu)です。


スロバキア生まれ育ちで、8歳からヨーロッパの色んな国を訪れながら世界中の人たちと交流してきた私ですが、アイデンティティーについて書きたいと思います。

母国にずっといるとはあまり考えたことがないだろうけど、大学からチェコに9年住み、それから東南アジアを拠点にして生活している。

スロバキアとチェコは違うけど、とても親しい国同士だ。

だから、9年住んでいても、サービス業以外は特に変わりを感じず生活していた。

が、大学の時、日本に留学して、勉強しながらバイトをしていた。

行く前にもう普通に話せたので、困ったことがなく、その分後輩たちの相談に乗っていたりしていた。

バイトは忙しかったので、働いていたお店によって違う客層とお話できて、とても面白かった。

そんな中で、今でも忘れられないのは、外国人なのにこんなに日本語を喋ることに対しての皆さんの驚きだ。

接客していたら、お客さんと様々なやり取りをするのはもちろん、ちょっとした会話も交わすことも多かった。

ちょっと会話をすると「日本語上手ですね!」とすぐに褒められることがあれば、「日本人ですか?」「ハーフですか?」という反応もよくあった。

一晩で、6組ほども!

「日本語上手ですね」は良くいただいたので、外国人に求められる「まだまだです」とか「ありがとうございます」とかをつまらなく感じ始め、人を観察しながらその人の性格に合わせえて面白い回答を考えた。

笑いを取れば最高じゃん!

しかし、色んな客がいるから、頭が固い方にもよく出会った。

「純スロバキア人なわけがない!きっとお父さん日本人だろう?」

と喧嘩を売ろうとしている人もいた。

仕事中だし、喧嘩にならないように

「はい、はい、実はそうだった」

と納得させてあげることもあった。

よくあったことなので、アイデンティティーについて初めて考えるきっかけになった。

スロバキア人でこのザ・スラブ人かつ白人顔で、日本人だと思われるというのはちょっと違和感を感じた。

日本語が話せるだけで。


そして、ふっと思った 「もしかして、日本人のアイデンティティーは言語だけなのかな?」と。


もちろん、それだけではないと分かっているけど、当時はそう感じていた。

日本人ではないのに、日本人だと思われる。

未だに、タイやジョージアで生活している中で、色々な日本人に出会う。

日本語が喋れるので、日本人と接することが多い。

そして、初対面の人を、ふざけて騙すこともある。

「日本語上手ですね!」

と言われたら

「いや、日本人ですので。」

「え?そうなの?」

「うん、千葉出身です」

そして、相手が千葉出身でもローカルな話で盛り上がり、信じてもらう。

笑いに過ぎない話なんだけど、ジョージアで出会ったある千葉出身の人は、普通にベロのいうことを信じて、数か月経って「流石に種を明かさないと」と思って事実を言った。本人はめっちゃ驚いた。

騙してごめんw


「日本人より日本人です」「日本人より日本語が上手」とよく言われる。性格は日本人寄りかもしれないが、私の日本語はまだ中学生並みか以下と感じるので、ここまで褒められてもただのお世辞にしか聞こえない。

ながら、「日本人のアイデンティティーは言語のみ?」とさらに思っただけだ。

・・・

海外で色んな日本人家族に出会った。そんな中で、生まれてからずっと海外育ちの子どもが少なくなかった。日本は、行っても年一程度で、バカンスみたいな感じ。

そして、海外生活しながら、日本語は親とはもちろん、周りにいる日本人または日本語が話せる人たちとしか使わない。日本国籍を持っていても、日本という国には大した未練がないようだ。むしろ、外国人のように「○○へ行ってみたい」という感覚がある。

それでも、「私は日本人です」と言い切れる。

なぜだろう?



日本語を10年以上毎日使っているベロニカは、気づいたら母国語を話せなくなっていた。

英語と日本語を日々使い、国によってその現地の言葉を使ったりするというのも大きいけど、もっとも大きな原因は帰省しないと、母国語(またはチェコ語)で話してくれる人がいないことだ。

読み書きが完璧でも、会話になると、単語がパッと出てこなかったり、思い出せなかったりすることが結構増えた。

老化というより、話す相手がいないから、脳内スイッチが錆びたみたい。

それで、一年前に、ジョージアという国を訪れ、チェコ語とスロバキア語が話せるカザフスタン人に出会った。国を最後に訪れたのは3年前の私は、話すのに苦労した。当時彼にめっちゃ笑われた。

ある時、友達全員で公園まで飲みに行った。私もちょっと酔っぱらっていて、ベロニカの事情を知っている友人がチェコ人の友達を紹介してくれた。

やった!と喜んでいたら、単語があまりにも出てこないため、「英語で話そうか?」と提案された。

母国語が話せなくなったため、私の語学力が底辺になったと感じた。恥ずかしい。情けない。

しかも、そろそろチェコ人の友達も遊びにくるというのもあるから、余計に。

しかし、ちょっと話してくれる人がいたお陰で何とかなった。

どの国へ行っても日本人がいる上、外国人が挨拶ぐらい日本語で言ってくれるのは、日本人がとても恵まれているように感じる。正直、ちょっと羨ましい気持ちもある。

遡って、18歳のベロニカがチェコで10ヶ月過ごしたころ。

地元に帰って「あなたのアクセントはもうモラビア地方(東チェコ)だ!」とお母さんに言われたのは未だに忘れられない。

その時、痛感した。私はもう二度と綺麗なスロバキア語のメロデイーで話すことがないと。

悔しいけど、仕方がない。

その分、スロバキアに帰る度に、みんなのスロバキア語を聞くだけで、心が躍る。

時計の針を前に進めて、2022年8月。

ジョージアへ行ってから一年が経ち、4年ぶりの帰省。

飛行機に乗る人々から現地の料理まで、逆カルチャーショックの連続だった。

みんな身体がでかくて、金髪も多くて・・・見慣れていない風景だった。

ヨーロッパに着いて、楽しみにしていた料理を食べてみると「しょっぱい!量が多すぎ!濃い!」の連続だった。

意識はしていたが、ここまで驚く自分がいるとは・・・

一杯目のビールすら苦く感じる。

ビールとワインの味はすぐに慣れたけど、料理の量に健闘していても、半分すら食べれなかった。そして、お店のスタッフが味の方を気にしてしまった。

現地の人なのに、量が食べれず・・・

チェコ人もスロバキア人も、愚痴と皮肉たっぷりの会話が好きだけど、とても親切で優しい人たちだ。

しかし、長年住んでいない私からしたら、その会話のやり取りなどにはもう慣れていないからか、ちょっとしんどく感じ疲れちゃった。

流石にもほどがある。

こういうこともあって、ちょっと切なくなってしまった。

言語も、ご飯も、やり取りも、きつくなってきたようだ。不慣れです。そして、自分の居場所はもうこの国にないとさらに感じてしまう。

私っていったい何だろう?どうなってんだろう?とも思ったりした。

海外生活は夢だったし、大好き。だけど、母国のアイデンティティーの一部はスロバキア人だ。なのに、気づいたらスロバキア人でなくなっていた。

パスポートさえなければ、どうなっていたんだろうな。

お酒が飲めなくなったら、パスポートを没収されるんじゃないか、とふざけて思ったりもする。



スロバキアを出て15年、チェコを出て6〜7年ぐらい経っている。

普通に生活していたら、日本人だと思われたり、スパイと思われたりする。


海外に住んでおり、日本語を話せるスロバキア人なだけです。


これもあるから、国を忘れず、個人自身のアイデンティティーを見て欲しいというところはあるだろうね。

なんだか寂しいからね。

しかし、ありがたいことに、私には色々な仲間がいるから、寂しくないし寧ろ日々を楽しんでいる。

結局自分自身が何よりのアイデンティティーかもしれないね。


昔、お母さんにあることを言われた。


当時はこの言葉でちょっと救われた。

だから自由に海外暮らしができているかもしれない。

ということで、母国にルーツがあり、翼を広げながら、これからも生きていきたいと思う。



人のアイデンティティーは色々あると感じる。生まれつきのアイデンティティーがあれば、自分自身で選べるアイデンティティーもある。


母国を離れる人がいれば、母国に住んだことすらない人もいる。

それでも「○○人です!」と言う。言い切れる。


国籍によるパスポートを持っていても、人のアイデンティティーはそれだけでない。

むしろ、育った国より、持っているパスポートよりも、何かしらの強い繋がりがあると考えている。


親が話してくれた言語だ。


海外育ちの子たちも、長年国から離れながら母国語を忘れつつあるベロニカも、親から唯一無二をこのプレゼントをいただいている。


だから言い切れる。


国籍を変えることや、新しいパスポートを手に入れても、親が話した言葉があるから、いつまで経っても言い切れる。


ベロニカの場合も一緒。


生まれ育った国ではなく、流れている血ではなく、母国語こそに繋がりがあるから、スロバキア人だ。

その言語は私の考え方を形にした。私の文化だ。

だから今の私がある。


母語は、親から捧げられた最高のプレゼントだ。





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veronika
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