#235 芥川龍之介に学ぶ観察力・表現力
芥川龍之介の短編小説に
「手巾」という作品があります。
大学教授が、
休日午後の読書を楽しんでいると、
見知らぬ女性の来訪者があります。
対応すると、
どうやら教え子の母親であり、
彼は入院の甲斐なく、
腹膜炎で亡くなってしまい、
息子が生前お世話になった教授のもとへ
挨拶に来たとのこと。
息子を亡くした母が、
あまりにも平時と変わらぬ対応であるのを
不思議に思う教授ですが、
落とした団扇を拾おうと、
テーブルの下をのぞきこんだとき、
ある発見をします。
「その時、先生の眼には、偶然、婦人の膝が見えた。膝の上には、手巾を持つた手が、のつてゐる。勿論これだけでは、発見でも何でもない。が、同時に、先生は、婦人の手が、はげしく、ふるへてゐるのに気がついた。ふるへながら、それが感情の激動を強ひて抑へようとするせゐか、膝の上の手巾を、両手で裂かないばかりに緊く、握つてゐるのに気がついた。さうして、最後に、皺くちやになつた絹の手巾が、しなやかな指の間で、さながら微風にでもふかれてゐるやうに、繍のある縁を動かしてゐるのに気がついた。」
そして、こう続けます。
「――婦人は、顔でこそ笑つてゐたが、実はさつきから、全身で泣いてゐたのである。」
婦人の心境を、
「毅然と振舞ってはいるものの、
内心は悲しんでいたのだ」
と表現するのは簡単です。
しかし、芥川は、
その観察眼によって、
女性の深い悲しみを、
ハンカチを握りしめる手で描写します。
そして、
「全身で」泣いていた、
と表現するのです。
彼の観察眼の鋭さと、
表現力の豊かさは、
コミュニケーション全般にも敷衍すべき、
好例のように思います。
相手の細かな心境の変化を察し、
さり気なく、それを気遣う。
良い小説は、
感性を磨きますね。