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#137 「思いやり」は「俯瞰視点」で磨かれる

Voicyパーソナリティーである、
伊藤洋介さんと、
秋元康さんとの
作詞についてのやり取りが
とても印象的でした。

「洋介の書く詩は浅い。
例えば、洋介は、
葬式のシーンを書くとき、
夫を亡くした妻が、
悲しみに暮れて泣いているシーンを書くだろう。
でも、僕ならば、
何も知らない小さな子どもが、
大勢の大人が集まっていることに
テンションが高まり、
部屋を走り回っているシーンを書く。」

なるほど・・・と、
思わず頷いてしまいました笑

さすがは数々の名曲を手掛けた秋元さん。
確かに、後者の方が、
より深みを帯びた詩になっています。

この違いを感じ取れるのは、
僕たちに「思いやり」が
備わっているからです。

夫を亡くした妻が悲しんでいる様は、
容易に想像できるでしょう。
小さな子どもが、
場の状況を理解できず、
はしゃいでしまっているのも、
容易に想像できます。

でも、悲しんでいる妻が、
そんな子どもを見たときの感情については、
思いやりがなければわからないでしょう。

年端もいかない子どもを抱え、
女手一つで育てていかなければならない母。
いつかは父の死を
受け入れることになるであろう子ども。

この両者の関係を思いやれるからこそ、
詩の深みが生きるのです。

思いやりは、
俯瞰的な視点から生まれます。

僕から詩中の妻を見る視点と、
僕から詩中の子どもを見る視点は、
平面的な視点です。

しかし、詩中の妻が子どもを見る視点に、
僕が気付くためには、
妻と子どもを見渡せる、
立体的な視点に立つ必要があります。

この俯瞰する視点を磨くには、
たくさんの詩や物語を読み、
たくさんの人と話をして、
経験を積むしかありません。

多くの小学生は、
この視点を理解できません。
中学生になると、
半数の生徒が理解できるようになります。

読書経験や、
対外活動経験の多い生徒ほど、
この傾向は顕著なのです。

初等・中等の国語教育において、
詩や物語を扱う大きな理由は、
この俯瞰視点を磨き、
思いやりを醸成することです。

テキストやビデオチャットなど、
オンラインコミュニケーションが
今以上に求められる社会になると、
人同士の関係は、
希薄にならざるをえません。

だからこそ、
思いやりに基づくコミュニケーション力は、
今後大切にすべき能力だと考えます。

「思いやり」は「俯瞰視点」で磨かれるのです。

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