歴史考察 #18 福島の山には『地下トンネル』があった⁈
幼少時、福島盆地にポツンと佇む「信夫山(しのぶやま)」のふもとに住んでいました。「信夫山」は、周囲を街に囲まれた里山で、東西南北から眺めることができる珍しい山です。
そんな福島盆地には伝説があり、大昔には大きな湖で、そこにぽっかりと信夫山が浮かんでいたと言われています。
それを裏付けるように、福島盆地から南へ上がったところの地名が、「湖に浮かぶ信夫山を、はるかに伏し拝んだ」ところから「伏拝(ふしおがみ)」と命名されたといわれます。
さらには、伏拝にある神社には「舟繋ぎの石」、「信夫山」には「舟繋ぎの松跡」、土湯口には「舟引沢」、佐原の土船にも「舟繋ぎ石」など、福島盆地湖説を裏付ける地名がいくつも存在します。
「信夫山」は、古代から山岳信仰で栄え、山中には由緒ある寺社や遺跡も多く、参拝する為の主な参道が幾つかあったといわれ、現在でもその跡が主な散策コースとなっています。
「信夫山」の大きさは一周約7kmで、皇居と同じ大きさ。
「羽黒山」を中心に、西に「羽山」、東に熊野山の「信夫三山」で構成されています。
そんな「信夫山」は江戸時代から金鉱山として有名であり、天保14年(1843年)の古文書にもそれよりも前から金の採掘が行われていた記録が残っています。
そのため、山中には東西につながる地下トンネルがつくられ、また、第二次大戦中には、地下軍事工場が作られ、防空壕などが今も残っています。
ちなみに、「信夫山」の語源(アイヌ語原説)は、SHI-NUP(シヌプ)から「シノブ」に変化したともいわれています。
SHI=大きい、NUP=NUPURI=石山。
つまり大きい石山ということになりますね。
「信夫山」は、そうした語源を証明するかのように、たくさんの不思議な石も存在します。
数々の伝説や謎の多い「信夫山」
美しい景観と憩いの山が、この先もずっと市民の心と体を癒す場所であり続けるよう願ってやみません。
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