歴史考察#132『お釈迦さまの前世は鹿の王だった?!』
こんにちは、véritéです。
Twitterで雨宿りする奈良の鹿の姿が流れてきました。
そこで素朴な疑問が。
なぜお寺で鹿が大事にされているのでしょうか?
古来より「鹿」は昔から様々な形で利用されてきました。
「鹿革(ディアスキン)」は、通気性や保温性に優れていることから手袋や衣料に。
油でなめした「セーム革」は、カメラのレンズや宝飾品の汚れ落とし、ガソリンのろ過などに。
「枝角」は、ナイフの柄やボタンなどはもとより、乾燥粉末や黒焼末として、様々な効能を持つことから民間療法で用いられています。
そんな「鹿」を調べる中「鹿野苑(ろくやおん)」というワードに遭遇しました。
「鹿野苑」とは 、インドの仏跡で「宗教者の集まる鹿の放し飼いされている園林」という意味だそう。(これがめっちゃ煉瓦!!)
ではなぜ「鹿の放し飼い」なのでしょうか?
お釈迦様が過去世において菩薩の修行をしていた時、大きな群れの「鹿の王」だったというのです。
その頃、国の人間の王が、狩り好きの若い王にかわると、鹿を狩猟し、その肉を喜んで食べました。
このことから「鹿の王」は、乱獲による絶滅を恐れ、苦肉の策として、毎日1頭ずつ献上することを提案。
若い王はそれを承諾し鹿猟をやめました。
ある日、妊娠中の母鹿が献上される順が来てしまいました。
鹿の王は、子の喪失による群れの絶滅を恐れ、自らを献上することを決意。
すると母鹿もまた王の喪失による群れの絶滅を恐れ、自らの献上を申し出たのです。
若い王は、互いをかばい合う姿に感動し、鹿を食べることをやめました。
その後、この場所では鹿が殺されずたくさん増えたため「鹿野苑」と呼ばれるようになったとありました。
つまり、「鹿」はお釈迦様の子孫とも言えるため大事にされているということでしょうか。
そして「鹿」の字で思い出されるのは、明治時代、外国との社交場として使われた「鹿鳴館」
「鹿鳴館」の名前の由来は、中国最古の詩篇である「詩経(しきょう)」の「小雅」。
「鹿鳴」とは、中国最古の詩篇『詩経』に収録された一遍『鹿鳴(ろくめい)』に由来する言葉で、
「鹿鳴」が、群臣や賓客をもてなす宴会で詠じる歌であったことから使われるようになったとありました。
ちなみに「鹿」の字が使われている言葉は「鹿苑寺金閣」「鹿島」「鹿児島」「鹿の湯」「鹿野城」など多数。
いずれにしましても、これから「鹿」の字にも注目していこうと思います!
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