歴史考察 #107『廃城令の対象は、煉瓦の洋館のお城だった?!』
大阪城には「煉瓦造りの洋館」があります。
現在は「ミライザ大阪」という商業施設になっていますが、こちらの洋館、元は「陸軍第四師団司令部庁舎」でした。
そして大阪城公園内には、他にも煉瓦の洋館があります。
「旧化学分析場」です。
また、公園の「詰所」の門も赤煉瓦で造られています。
それにしてもなぜ「お城」の敷地にはこうした赤煉瓦の洋館があるのでしょうか?
そんな中、たまたま流れてきたYouTube動画の「廃城令」にそのヒントを見つけました!!
「廃城令」は1873年(明治6年)に明治政府が発しました。
それにより「お城」は、「陸軍が軍用として使用」する城郭陣屋と、「大蔵省に引渡し売却用財産」として処分する城郭陣屋に区分されたとあります。
つまり、「お城」=「陸軍第四師団司令部庁舎」になりますよね?
であるならば、「地方団体」の洋館庁舎や、銀行の洋風建築物、全国の大学の洋館等もまた、「大蔵省に引渡し売却用財産」として処分された「お城」だったと考えられるのではないでしょうか?
ちなみに、高槻城址にも煉瓦の門が遺されており、「大日本帝国陸軍工兵第4連隊」が駐屯地として使用していたようですね。
日本で「お城」といえば、迷わず「和風のお城」を思い浮かべてしまいますが、歴史を丁寧に紐解き、並べていきますと、「お城」は「煉瓦の洋館」であったとするほうがなぜかとてもすっきりします。
いずれにしましても、今ある「煉瓦の洋館」は歴史の生き証人。
ぜひとも壊さずに次世代に遺していきたいものですね。