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歴史考察 #163『大谷は宝石だった?!』
こんにちは、véritéです。
ダイヤモンドの宝石が日本に入ってきたのは、幕末になってからだそうですね。
1851年(嘉永4)、幕末に活躍した通訳、貿易商、そして「新聞の父」と呼ばれる浜田彦蔵がサンフランシスコでダイヤモンドの入ったネクタイピンをもらった、という記述があります。
また、1860 (安政7)、摂津守の木村喜毅が、アメリカ大統領夫人から5カラットのダイヤモンドを贈られたという記録など、幕末の文献にはダイヤモンドに関する記録がいくつもみられるそうです。
1875年(明治8)、「平民苗字必称令」が布告され、苗字を名乗ることが義務づけられました。
何という苗字にするかは当人の自由であり、旧士族だった者は武士時代の苗字であったり、百姓や町人の大部分は祖先の地であったり、屋号や職業名を名字にする者もあったそうです。
幕末、京都を守る剣客集団新選組が本拠地とした西本願寺。
第22世法主となった大谷光瑞(おおたにこうずい)は、大谷探検隊としても知られています。
大谷探検隊とは、1902年(明35)から1914年(大正3)の間に、中央アジア(主に東トルキスタン・西トルキスタン)に派遣した仏教伝来を探求した考古探検隊で、シルクロード研究上の貴重な業績を挙げました。
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そんな大谷光瑞の「大谷」という苗字もまた、明治時代に苗字が必称となり用いられたとあり、「大谷」とした理由は、本願寺の開祖である親鸞の遺骨を大谷(京都市東山山麓)に安置したからとも。
理由はそれだけなのでしょうか?
何かもっとありそうな...
そんな中、思わぬ情報に遭遇しました!
それは...栃木県日光市を流れる「大谷川」です。
この「大谷川」の読みが「おおたに」ではなく「だいや」だったのです!!
おおたにではなく、だいや。
ダイヤ✨
ひょっとして、仏教とダイヤには何か関連があるのではないかと調べたところ、仏教の生まれ故郷であるインドの神話には、「インドの女神シータ」の失われた片目は青いダイヤモンドだったとあり、また、仏教徒は、ダイヤモンドを絶対的な実存の象徴、愛の真髄とみなし、釈迦の玉座の飾りに用いているとも...
いずれにしましても「大谷」を「だいや」と読むのは目から鱗でした✨
そしてなぜ日光の大谷川が「おおたにがわ」ではなく、「だいやがわ」なのかも気になる今日この頃です。