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25年前の摂食障害②

中学3年生から
ダイエットにハマっていき
食事の量はどんどん減り
運動を一日でもしないと
不安で落ち着かなくなっていた。

何かに取り憑かれているように
毎日の体重計の数字だけが
その日のモチベーションを決めていた。
体重が減れば喜び
0.1kgでも増えると
周りから太ったと思われる
という不安と
体重が減らないと焦りがあった。

半年くらい経ち生理が止まり
膝が痛くなってきた。
完全な栄養不足。
周りから心配される程
ますます痩せていき
冬になる頃には149cm 23kg…
よく摂食障害の報道で見るような
ガリガリで骨と皮だけ。
このままでは危険だと思う氣持ちと
それでも自分はまだまだ痩せたいと思う氣持ち
両方の氣持ちで
中学3年生のわたしは頭がいっぱいだった。


母や家族の協力を得て
月日が経ち春休みの頃には
少しずつ食べられるようになったけど
しばらくの間は

痩せたい↔︎食べて健康な身体に戻さなきゃ
↔︎食べると太る、怖い

の繰り返しだった。
一般的に拒食のあとは過食になる
と言われる。
わたしもめちゃくちゃ食べた。
こんなに食べる自分が苦しかった。
だけど母が
「過食じゃないよ。今は栄養が必要なんだよ。」
と励ましてくれた。
怖くて、吐くという行為もやってみたけど
わたしは吐けなかった。
今考えると吐けなくてよかったと思う。


当時周りの人達は摂食障害を
受験のストレス
と言っていたけど
とても違和感だった。
わたしは違うと感じていたし
今もそれは違うと思っている。

一方で摂食障害は親の愛情不足や
愛情過多と言われることも多いけど
これもわたしの場合は
違うと感じている。

両親は忙しながらも
一生懸命育ててくれたので
感謝している。

じゃあ何だったのだろう?
25年経って感じることは
幼少期に感じていた
太る=悪い
痩せてる=良い
という強い価値観だったのかな、と
今なら思う。

この想いがあり
わたしは日々
家庭で食べる食事を大切にしているが
子どもたちには
これは身体に良い…
これは身体に悪い…
というイメージを植えつけないように
心掛けている。
みんなで美味しいね
といただくことに重きを置いている。
だからジャンクの時もあり
お弁当を買うときもある。
だけど基本の食事は丁寧にし
みんなで囲む食卓の在り方を
大切にしたいと思うのです☺️

ただただ
自然に美味しいと感じてもらうこと♡


ヒトが子どもを育てていく中で
親の考えや価値観は切り離せないし
大人も子どもに押しつけているつもりは
ないんだけど
成績がいい、〇〇だからいい子=良
運動できない、〇〇だから悪い子=悪
みたいなジャッジは
親のエゴだと思う
そうならないようにしたいし
そういう大人の物差しで
子どもたちの評価をする環境は
なくなってほしいと願う。


25年前の摂食障害の話
決して母を責めているわけではないし
感謝しているし
きっと今なら母も
そんなこともあったね!
と笑ってくれる☺️
ご心配をおかけしました。

今わが家の長男が中学3年生。
25年前のわたしを思い出し
急に綴りたくなったのかもしれません♡

最後まで読んでくださり
ありがとうございます☺️

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