左手のピアノ 2 右手人の世界
じっとしているのも痛いので、明らかにピアノを弾く段階ではない。
三週間くらい安静。
右手がタコになっていると、色々なことに気づく。
ドアって右手側のハンドルの方が擦れてる。
水を飲みたいのに冷水の蛇口は右側にある。
包丁って左手で持てるの?
ごめん左手さん。
世界は右手が中心にできていた。
多くのことが右手人の公約数で決まっていることに気づく。自分もすぐ前までそうだった。ドア。ハサミ。バイオリン。ギター。マウス。野菜を切る。蛇口。ハグ。頭を撫でる。頭を掻く。ドライバー。シフトキー(は左側、右でキーをおせるように。)縦書きの原稿用紙。左から右に書くという動作自体。財布からカードをとる。靴紐。
ここまで全く今まで気づかなかったこと。
右手、今までありがとう。
僕に人生になくてはならないものだったんだね。生活の扉と言っていいくらい。
左手で暮らすとなんとねじる動きが多いことか。疎外感すら感じる。この辺から軽く落ち込みはじめる。
歩くのが痛くて遅いから、信号が時間内に渡り切れるか不安。みんなに迷惑をかけるにではないか。自信喪失。外に行きたくない。レジに行っても食べものをカウンターに置くだけでしんどい。時間がかかってごめんなさい。
さて、痛みが和らいできて、車の運転を再開して、生活ができるようになってくるやはり、ピアノを弾きたいと思う。
右手がタコになっているのは変わりない。
ジストニアや脳梗塞でピアニストが左手だけのピアニストになることは稀だがある。音楽家の故障については、前例はたくさんある。ベートーベンの耳。クララシューマンも左手を脱臼してたからブラームスが左手のための曲を書いた。ポンセの友人の彫刻家。(音楽家ではないけど。)プッチーニの交通事故。シューマンの精神障害。左手を戦争で失ったピアニストがいて、そのためにラヴェルの左手の協奏曲はある。こういう偉い人たちが真っ向から問題を克服してきて、ハンデに関して贅沢はいえない。先人は困難を克服して芸術を生み出してきた。
んー。
サッカー選手の場合捻挫で三週間離脱とか普通ですよね。音楽家も見えないところで怪我したり調子悪かったりします。
この辺からベートーベンのハイリゲンシュタットの書簡を読み始めた。
これやばい。
心のケアってどうしたらいいんだろう。
って感じだった。
つづく