見出し画像

楽譜 6

noteにハマりすぎているので、好きなクリエイターさん3人しか読まないしポチしない。ごめん。どんどん沼にハマるから今は嫌なの。みんな文章がお上手。でも今は色々大変なので自分のアウトプットに専念したいです。

さらに脱スマホの一環でスマホラジオから、ラジカセに移行。昔のシャープの電池入りのラジカセをガラクタ市から見つける。実は隣町の好意にしている猫カフェならぬ猫クローゼットといって猫カフェのカフェの部分が古着屋というお店があって、その人たちに以前会いに言ったらこのラジカセをジロジロ見てたらくれた。

このオーナーは女性二人組でLGBTQでとってもその社会に貢献している。僕らの従業員も皆LGBTQ。僕らだけデフォールト。社内ではtheyはマスト。その彼らが古着屋の隣の部屋が空き家になったので、猫を飼いたい、という話になったらしく、奥様に相談しに何度かきてくれた。奥様はなんの躊躇もなしに全部教えて、今では立派な猫カフェならぬ猫古着屋をやっている。彼女たちの猫古着屋に入った時に、「Queen of Cat Cafe is here」と相棒に耳打ちしていたのがウケた。うちのクラリネット奏者の妻はいつのまにか女王になっていた。

80年代のシャープのラジカセ。ラジオをラジカセで聴く。40年前と考えると恐ろしい時間が経っている。が、単三電池のサイズは変わらない。アンテナもスピーカーも全て今のスマホの方が圧倒的に性能がいい。右上に丸ぽちのアンテナがあってそれを伸ばしてよく受信できるところを探す。ラジオ番組に合わせるのも指でノブを微妙なところに合わせる。でもこの感じがいいのよね。

今朝メイプルシロップがキレそうになっていて、その最後の一滴を絞り出すためにじっくりと待っていた。ぽたっ、ぽたっ、時間の幅とぽたのプオあたりがかさによって伸びる。こういう音の伸び縮みが聴こえるようになってきた。こういう生活音を聞くの大事。

楽譜

ここでまた曲をごっそり変える。この二週間はベートーベンとシューマンに集中することにする。この2ヶ月楽譜と戦ってきて、学力テストのように全ての教科がうまくできるように満遍なく勉強している。朝集中してスコアを読んで、夜ピアノを弾いて確認して頭に入れる。なんで指揮者の場合だけ全ての時代の全てのスタイルをさぞ当たり前のように勉強しなきゃならないのだろう。チャイコフスキーコンクールやショパンコンクールは見ていると現代曲はないようだけど。グチハヨクナイ。音楽をやれることに感謝。

ベートーベンの楽譜の話をする。

その前に、ベートーベンの演奏は難しいと思う。大抵の作曲家は楽譜に書いてあることとそのスタイルをマスターすればそれなりの音楽ができる。けどベートーベンの場合はなんというか、楽譜の問題じゃない。語弊があるけど。自分とは何か、そんな問いを突きつけられているような、なんかギリギリの音楽。あなたはどんな人生を送ってきたの?俺のはこうだぜ?君のハートをぶつけてきなよ。みたいな。80年代不良映画か^_^どうやって言葉で表現すればいいのだろう?

祖父の書簡のお陰でアメリカの州議会図書館に知り合いができたので、奥の奥まで見せてもらえるようになった。それでベートーベンの直筆譜と対峙。ピアノソナタ30番。去年の6月。指揮者でよかった。手袋も何もなしに。ゴーアヘッドと言われて。息が留まりそうになった。僕は音楽の神様が座っていたところにいた。


それで目が点になったのは、他の作曲家はこの1ページに八小節区切って書きます、とはっきりしてから書く。ページの制限もあるだろうに。でもベートーベンの場合、一小節毎に大きさが違う。あたかもそこでピアノの前で、よく見えない蝋燭の隣で書いているかのように。いわばメモ書き。漫画で言うと4コマ漫画と漫画の見出しの一枚に大きな主人公の顔と悪者の顔がドーンと書いてある。そんな感じ。それでここにもあるけど、フォルテと万年筆?筆ペン?で書いてから鉛筆でゴニョゴニョしている。つまりはこの楽譜は彼の頭の中の試行錯誤であって、完成形ではない。モーツアルトのように楽譜の前から頭の中で作曲が終わっている感じではない。

自由。苦悩。天国。

しかもこれを聴覚がない状況で書いていたのだから奇跡以外の何者でもない。

ただ僕らはこのメモ帳のような殴り書きをどうしよう?😨と考えなきゃいけない。

おわり