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ツインレイ?の記録9.5
書き忘れたので追記。
2月10日に彼に強い感情のこもったメッセージを送ってしまった私は、その後彼からの返事もないことに病む。
病むというか、本当に心臓がつぶれるぐらい苦しくなった。
動機が激しくなり、死ぬんじゃないかとすら思った。
その時、滞在中のメリーは「それは失恋したからよ」と言うが、失恋の痛みを遥かに超えている。本当に救急車を呼んでほしいと思うぐらいに、心臓がつぶれそうに痛み、苦しかった。
その状態で、私は当初から予定していた卒業生で一番仲の良い子の家に三泊四日で遊びに行った。
行きの列車の中でも落ち込む気分は止まらない。
彼と行こうと約束していた日本のラーメンが食べられるお店がある町に停車した時も、涙があふれて止まらない。
「もう会えないんだろうか……」
そう思うと悲しくてたまらない。
久しぶりに会った卒業生を到着した駅で見かけてまた号泣。
どうも涙腺が弱くなってて、とにかく私はすぐ泣いてしまう。
まだ1歳のその子の娘に影響するから、悲しい感情は出さないでと言われていたにも関わらず。
卒業生の娘は私にすぐなついた。
卒業生の家庭はまさに理想的な家庭で、卒業生のご両親、祖父母、親戚、みんなに囲まれて、一歳の娘は愛情を一心に受けている。
本当にその子がかわいくて、私は彼が自分の娘をどれだけ愛おしく思っているのかが少しわかる気がした。
娘の幸せのためならば、どんな犠牲を払ってもいいと思える気持ちが私にもわかった。
その幸せを脅かす存在だと思ったから彼は私に怒りを向けたのだろうか。
人に対して怒ることはないという彼に、私は確かに怒りを感じたのだ。
何度も感じている。彼の中には怒りがある。
私が近づけば近づくほど、彼は何かに対して怒っている。
もしかしたらそれは自分自身に対してかもしれない。
そしてそれはまた私に対してなのかもしれない。
その時、この卒業生にも言われたが、奥さんがいる人なのだから諦めたほうがいい、他の人にしたほうがいいというのはとっくにわかっている。
最初に紹介してくれた人にも「素敵な人ですが既婚者なので好きにならないでくださいね」と言われている。
でも、私はその言い方は間違っていると感じている。
許されないのは「不倫」であって、「好きになる感情」自体は自分でどうにもならないのだ。
例えば、誰かに対して殴りたいほど怒りを感じたとして、そして実際に殴るかどうかってことだと思う。
殺意を抱いたとして、相手を殺せば罪になるが、一瞬湧き上がる殺意自体はどうしようもないのではないだろうか。
不倫の何が悪いかというと、社会の規範から外れる行為をすることで、社会的制裁を受けるということがまず挙げられる。
男性は社会的生き物で、社会から孤立して生きることが特に難しい。社会の中でまっとうとされる地位や立場、周りから見て「正しい」と思えることを何より重視する。このような人は少なくない。彼もまたその一人だろう。
ならば私が彼をその社会から疎外されてすべてを失うことをよしとするだろうか。彼が社会から疎外され不幸を感じることを私が望むはずはない。
そして、さらに、不倫の何が悪いかというと、子どもたちへの影響である。
はっきりいって、夫婦間の大人同士に関しては、紙きれ一枚の結婚など何の制約にもならないと思っている。実際私も離婚しているし、大人同士、関係性の変化は受け入れざるを得ない面もある。
でも幼い子どもはちがう。
私は五歳の時親が離婚して環境ががらりと変わってしまった。
そこに理不尽さを感じ、私のインナーチャイルドのトラウマは本当にひどいものだった。
親は子どもが安心して生活し、情緒を安定させるだけの環境を整えてやる必要があるし、むしろ結婚よりも親子の誓約を強化したほうがいいのではないかと思うぐらい、子どもの成長への影響と責任はしっかりと負わねばならないと思う。
幼い子どもへの親の影響は計り知れない。
私はそのことをよく知っている。
だから彼は子供を何より優先にすべきだと思っているし、そうしている彼だからこそ、私は本当に彼が好きなのだ。
この人が自分の父親だったらどんなによかったかと思うぐらい。
彼が家庭を必死に守りたいように、私も彼の家庭を絶対に壊すまいと思っている。
だけど、彼を好きな気持ちは止められない。
湧き出る水を外に溢れさせることをせき止めることはできても、湧き出ること自体を止めることは不可能なのだ。
この湧き水が枯渇するまで待つしかない。
それがいつになるかはわからない。
だけど無理やりせき止めようとすればするほど溢れてきそうで、私はそれが怖いのだ。
だから無理に好きだという気持ちまで自分で自分に否定しない。
その湧き水は私にとってどこまでも清く澄んでいる。
洪水や土砂崩れになれば、雨は厄介なものだが、雨自体に罪はない。
それは渇いた大地を潤すこともある。
別に私は不倫を肯定しているわけではないが、ただ純粋に人が人を愛する気持ちまで否定するのは何か違うと感じてしまう。
悪いのはエゴの暴走で、奪い、傷つけ、壊すこと。
特にそれが子どもを巻き込むのであれば絶対に避けなければならない。
これが私の考えだ。
卒業生の家庭は理想の家庭すぎて、まるで竜宮城にでもいるような不思議な気分になった。
私には手に入らなかった理想の家庭。
だけど、私にはそもそもファンタジーで、現実にはあり得ないもので、だからこそ、家族の中にいるという疑似体験をさせてもらえるだけで、私はいつも満足だった。
自分には絶対に手に入らないものだからこそ、憧れて、そしてどこか嘘だと感じる。
まるでそこにいる人がディズニーのキャストであるかのように、私に夢を見させてくれる。
そんな感覚だった。
そして楽しいひと時を過ごしながらも、私は一人になると、やはり彼を思い出し、彼が私に返信をくれないことが本当に悲しくて泣いた。
その時くりかえし聞いていた曲が、とても古い曲だった。
なぜこればかり聴いていたかわからないけど、とにかく頭に回っていた。
ただ今だから言えるのは、私はすべてのことにYESと言いたい。
彼と出会ったことも、彼に無視されることも、彼を好きだと思う私の気持ちをどうしても消せないことも。
さみしさも、ときめきも、ためらいもYES・・・と歌詞にあるように。