児童養護施設で育ったあの芸人さんの件で思ったこと〜代替的養護からの自立・当事者性・メディア

こんばんは。
めずらしく書きたくなったので、表題の件について書きます。

今回の一件で児童養護施設への関心は深まったかもしれないけど、だいぶ情報が偏ってるだろうし、Xを見ただけでも誤解が生まれているし、色々みていると全くもって好意的に受け取れない。
代替的養護からの自立について世間で誤解が広がっていそうな印象を受けたのと、本人の当事者性をうまく利用しているようなメディアにだいぶ不満があるので、その二つをこの文を書くことで昇華させたい。

はじめに

私は、代替的養護(実の家庭ではない、児童養護施設や里親家庭、その他児童福祉施設などでの保護、日本では社会的養護という呼称が一般的)で育ったが、児童養護施設には住んだことがないし、行ったことも数回ある程度でそのリアルな側面はあまり知らないと言っていい。そういう意味では、この文章に説得力はないかもしれない。
でも、児童養護施設と同じくくりの制度下の里親家庭で育ったし、自立後は、施設出身者とだいたい似たところでつまづいたので、その類の経験が全くない人に比べたら、ちょっとは知っていると思う。加えて、大学で1990年代以降の日本の代替的養護について研究して卒論も書いた。その上でこの文章を書いている。

代替的養護からの自立

まず、代替的養護からの自立についてだが、2018年からは原則18歳で自立、しかし継続して支援を受ける必要があると判断された場合は20歳まで、生活の延長が可能だ。これを措置延長(そちえんちょう)という。今年の4月には、児童福祉法が改正され、その措置延長の上限が22歳までになった。
その芸人さん(以下Aさん)は98年生まれなので、年齢的に2018年からの20歳までの措置延長の対象にはなっていない。だから18歳で自立した、ということがあると思う。今とは色々事情が違う。

そして、自立する場合には、職員さんと進路についてなんらかの相談をしたり、サポートを受けたりしているはずだ。あの芸人さんの年齢から自立の時期を逆算すると2016年、ということになり、時期的にさすがにそのあたりの支援がなかった、ということはないと思う。
ちなみに、私が育った里親家庭で2010年くらいに高卒で自立した子がいたが、その子でも就職へのサポートはしてもらっていたから、地域が違うとはいえ、2016年で自立支援がされていなかったとは考えにくい。

Aさんは、「児童養護施設から自立した後、行き場もなく自衛隊に拾ってもらった」ということを言われていたが、児童養護施設が行き場もない状態で自立させた、というわけではないと推察する。
施設はおそらく就職、あるいは進学のいずれかの選択肢を提示したはずだ。
でも、なんらかの理由でそのいずれもが叶わなかったのではないだろうか。
でも制度上は原則18歳で自立なので、とりあえず自立したものの生活の維持が難しくなったのではないか、と個人的には予想している。
今は、そもそもそういう自立が起こり得ないような仕組みにはなっているはず。

補足すると、現在の自立での課題は、就労、進学しても、定着せずにドロップアウトし、生活の維持が難しくなり困窮する若者が多いことだ感じている。金銭的な支援制度が拡張されてもなお、このあたりの課題はなかなか解決されにくい。その点については、今度時間があるときに別に記事を書こうと思っている。

当事者性と発信活動

次に、当事者性について考えを書きたい。
最近、本当にいろんなところで児童養護施設出身者が「施設への偏見を無くしたい!」とかなんとか言って、当事者性をつかっているのを目にする。今回のAさんもそういう一面があるなと感じる。
それは本人の自由だし、別にその点についてとやかく言うつもりはない。
しかし、気になるのは、「あなたの発信している情報は本当に"現状"を伝えているものなのか」ということだ。
児童養護施設出身者が、当事者として「施設での生活の当事者だったころ」を語るのは、その2、3年後であることが多い。つまり、その時点で情報の内容に時差があることになる。

ほかの政策について当事者性をもとに語るなら、別に2、3年の時差なんて大したことがないのかもしれない。
代替的養護政策の移り変わりは本当に、本当に速く、2、3年くらいの差でどんどん支援が拡充されている。
そして、その影響をもろに受けているのがおそらく1990年代後半から2000年前半に生まれた当事者だ。つまり、今よくSNSで発信活動をしている世代だ。

この世代は、年齢や保護された期間が2、3年違ったり、自立後の進路の選択が違ったりするだけで受けている支援や経験が大きく異なる。例をいくつか挙げてみる。
例1:「18歳で自立しないといけなかった」という話も、Aさんと1歳、厳密には2学年違いの自分なら「進学し、20歳まで措置延長」となる。ここで私がもし就職していたら、制度的なものとは関係なく自分の意思で18歳で自立していたと思う。
例2:2020年から国の高等教育修学支援制度が始まり、それによって大学生活にかかる学費、生活費が大幅に減った。代替的養護からの大学進学の金銭的なハードルは遥かに下がったはずだ。その支援の対象ではない世代の当事者は、貸与奨学金と給付奨学金でなんとか家計をやりくりしたり、授業料減免の措置をとってくれる大学に進学したり、地域の奨学金制度の奨学生になったりと、いろんな方法で金銭面をやりくりしながら大学に進学した。
だから、その世代からは「児童養護施設からの進学は難しいと言われたから就職しかなかった」という声が出てくるのは当然だし、それは事実だ。
だがそれが今の子どもたちの状況か、というとそうではない。

情報発信をする当事者の人たちには、その「時差」の意識が欠けているなと思うし、私もそこは自戒を込めて気をつけなければならないことだと強く感じている。そして、とくに児童養護施設関連の情報の受け手も、できればその時差に敏感になってほしいと思う。

当事者性を「利用」する人たち

いわゆる当事者活動をしていると、メディアによる取材依頼、というのがくることがあるらしい。こちらには、これまでその類の依頼が来たことはないが(こんなきつい物言いをする奴に取材したくない気持ちはとてもわかる。)、結果としてできた成果物たちをみると、大事な情報が抜けていたり、お涙頂戴的な「物語」を演出したり、誤解を招く表現があったり、記者の勉強不足が見て取れたり、扇動したいだけなのが露骨にわかったり、閲覧数稼ぎの間違いだらけのタイトルだったり、というのがそこそこの頻度であって、そのたびに私はその情報提供者でもないのに「いい加減にしろてめーこの野郎」と内心悪態をついている。

彼らには、物書きのプライドがないのだろうか。
あるいは、話してくれた人に対する礼儀というものがないのだろうか。客観的で正しい情報を受け取り手に提示するというメディアの本来あってほしい姿は、最近とくに失われていっていると感じる。

メディアも商売なので、ある程度の脚色、演出は仕方がないと思うが、だとしても、そこに当事者の心、これまでの人生、経験に基づく語りを金儲けの道具に利用しないでほしい。あなたがたは鬼か?人の心がないんか?

私は、今回のAさんについて特集された番組を見てはいないけれども、Aさんがタレントで有名人だからといって、これまでの人生をさらけ出させる必要はなかったと思うし、本人が歯止めをかけられない部分は周りの大人がきちんと守ってあげるべきだったのではないかと考える。

メディアだけではない。最近は代替的養護界隈でも当事者、とくに施設出身者の当事者性が界隈内で消費されていると感じる。
私は、そこに食われたことはないが、この界隈にちょこっと足をつっこんでいる身としては、あー、この人も利用されてんなーと思うことがある。
言い方はきついが、まわりの大人たちが当事者、当事者ともて遊んでくれるのはせいぜい30歳までで、それを過ぎたらおはらい箱になるのだと思う。
もし、その当事者性だけで生きていたとしたら30歳で路頭に迷うことになる。それは果たして代替的養護の理想の自立であろうか。

当事者が当事者性をもって語るのは悪いことではないとは思う。
なぜなら当事者にしかない視点、感情、思いがあることは事実だから。
当事者だからこそ感じた怒り、悲しみ、差し違えてでもそれを改善したい、だからこの声を聞いてほしいという気持ち。正直、自分も感じたことがある。その思いはとても大切だと思う。
でも、それを自分の本名、顔を晒してまですることはない。
大事なのは自分の人生。
それまでは当事者性によって生きてきたかもしれないけど、その当事者性がなくなっても生きていけるような何かを見つけてから、当事者活動はした方がいいと思う。
その方が後々、傷つかない。

話が脱線した

ノリで書き進めたので話が脱線して、支離滅裂な文章になっているかもしれないけど、今回の件で感じたのはこういうことです。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
この記事が少しでも読んでくださった方の考えや気持ちの変化につながれば幸いです。







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