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我が母にまさる母、ありなんや。

2024年、4月4日の朝7時。


母が棺にいれられて
霊柩車で病院から出るそのとき、
桜が満開で
まるで母が笑っているような
せつなくも美しい、やさしい朝だった。


前日に駆けつけたとき、
母には意識がしっかりあり、話ができた。
(まあ、なおみちゃん。大丈夫だから帰ってちょうだい)とか、
もうトイレに行かれないのに
綺麗好きな母は
(トイレに流せるウェットティッシュを買ってきて)
とか、
息も絶え絶えにしっかりと話す母の様子から、
まさか16時間後に逝くとは
想像すらできなかった。
またいつものように危篤から生還して
家に帰るのだと思っていた。


母の手をにぎりながら、
ぎゅっと握りかえしてくる力強い手に
力がどんどん入らなくなり、
話す言葉が宇宙語のように
何を言っているのかわからなくなり、
身体がうごかなくなり、
目に力がなくなり、
まばたきをしなくなり、
手足が冷たくなって、
体が停止するその全ての過程を
見届けた。


すべてをみて、
すべてをみとどけた私は、
どこかの意識でわかっていたのだろうか。
だから、このありえないタイミングで
駆けつけられたのだろうか。
だから、寝るためにホテルに帰らなかったのだろうか。


16時間の間、
祭りのようなドラマがあった。
死とは、祭りごと。
様々なドラマ、ストーリーがあり、
始めて出会う病院のスタッフを巻き込んで
死の祭りが展開する。
母のドラマは壮絶だった。
綺麗好きな母は、その対極を体験した。


母の壮絶な痛みと、
苦しみで歪む顔を
16時間、徹夜で見続けたわたしは
キリストを看取るマグダラのマリアの気持ちが
ようやく少しわかった気がする。
夫とは、また全く違う看取りだった。


湯灌、お通夜、お葬儀と
家族中で展開されたドラマは
普通ではなかった。
わたしは怒り、腹立ち、哀しみ、くるしみ、
まるで映画のワンシーンのように
ありえない問題がてんこもりのなか、
母を火葬して
無事に骨を拾って帰宅できたのは
奇跡のような力に守られていたから、
としか思えない。


わたしにはもう、
母のように甘えられる人がいない。
このよには、いない。
母はわたしが苦しいとき
いつもその瞬間を察して電話してくれた。
話を聴いてくれた。
言わなくても、わかってくれていた。
許してくれていた。
理解してくれていた。
わたしの性格をそのまま、まるごと愛してくれた。


そんな人が、他にいるだろうか。
そんな人が、母のほかにいるだろうか。
わたしが間違っていても、
わたしの全てを、
赦してくれる人がいるだろうか。


人生にでてくるキャストは、
わたしが創っている。
わたしは理想の母を
わたしの人生で想像した。
その母の愛にいつも甘えていた。
母の愛は、わたしの灯火だった。


こんなに自由に
わたしがわたしらしくいられたのは
母の祈りと愛のおかげだった。


世の中には、様々な母のカタチがある。
母が子を守ったり、愛するのがあたりまえではない。


でも私の母は、
今世であった母は
わたしが創りだした、
完璧な母。


体調がいいときには
毎週聴けたあの美しく柔らかく澄んだ声も、
あのやわらかな動きをする母の体も、
もうないんだ。
母の官能美は完結した。
あの目、耳、鼻、唇、柔らかい肌、の
肉体的な体は完了して、
まっしろな骨だけになった。



官能美は、たとえ儚い夢、まぼろしであっても
肉体をもって生きているからこそ味わえる
悦びがある。だから尊いのだ。


わたしは、想う。
わたしは、私に集中しよう。
母でも、家族でも、外でもなく、
わたしの人生に、集中しよう。


そして、
母から受け継いだ愛を抱いて
わたしが、わたしの完璧な母になろう。
いつでも、わたしはわたしに甘えよう。
いつも、わたしはわたしに優しくしよう。
わたしは、わたしを蔑ろにはしない。
いちばんにわたしの理解者でいよう。


強くはっきりと、
自分が自分の母で在ることを
決めたその瞬間に、


母からいつも言われてきたあの言葉が
降りてきた。


【なおみちゃんは、大丈夫よ。
全てうまくいくわ】





✨母が持ち歩いていた紙に、こう書いてありました。

十億の、十億の人に、十億の母。
あらんも、我が母にまさる母ありなんや!
我が母にまさる母、ありなんや!

十億の、十億の人に、十億の父。
あらんも、我が父にまさる父ありなんや!
我が父にまさる父、ありなんや!






母を看取る前にアップした
YouTube2本、
どうぞご覧ください。

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