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型を外し、核を生きる。


官能美オーガナイザーとして活動する前、
ナレーターコンパニオンや結婚式などの司会者を
していた。



大抵は客数200人以上の進行を
一手に受けもつ司会者には
数多くのしきたりや型があり



新人のころ、
本来自由奔放な性格のわたしは
スタッフ達には当たり前の常識的なルールが
とても堅苦しく、
不自由極まりなく思えて
とある道で既にプロフェッショナル歴がある友達に弱音を吐いたことがあった。



すると、彼女はこう言った。




"大変かもしれないけど、慣れるまでは
なんどもなんども、その道の型を身体で覚えていくの。進行の流れを身体でつかんでいくと、いつのまにか型や枠がパッと外れる時がきて、自分らしいリズムで司会ができるようになるよ"



失敗が多くて
進行が期待通りにいかなくて
凹んでばかりいた私は
彼女の言葉を、
そんなものなのかな〜と軽く聞き流していた。



司会歴が長くなっていくと
予想外のハプニングにも
(インタビュー中に新郎のアゴがはずれてしまったり、
映像が壊れてエンドロールが流れなくなったり、
両親へのお手紙を読んでいる途中で新郎がトイレに行ってしまったり、
その他いっぱい!!!)
いつのまにか、
プロの司会者という型の波にのりながらも
私らしい司会ができるようになっていった。



何かを始めるとき、
まずはその道の型を
体に落としこんでいく。



失敗しながら、
悩みながら、
自分にはできないんじゃないかと
右往左往しながらも
なぜかその道をまっすぐに進むしかなくて
体感で学んでいく。



仕事も
人生も
男女関係も
身体にでてくる痛みも
問題とみえてる課題も



全てにその道の型があり、
自分と縁がある体験やしがらみが完了すると
今まで結びつけられていた型が
パッと外れる時がきて
そんな時は
自分らしい生き方の核ができている。



型を外し、
核を生きるようになると
自分が慣れ親しんだ型…以外をも、
排除するのではなく
他の生き方、在り方をうけいれ
自由に楽しみながら
すべてを型や枠を超えた無限大の自由に
変換していけるのではないだろうか。

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自分と違う生きかた、
やり方を受容し
排除しようとしない
愛あるひとたちは、



みな自分への信頼、軸、自信など
生き方の核、
ゆるぎない一本の柱が
いつのまにか
しっかり育っているからこそなのだろう。



人ではなく、自分を鍛える。

人のせいにする自分の弱さら逃げない。

何か違和感として探知したら
ただ自分の内側をクリーニングして
ゼロにもどる。



そんな男前の強さを、
男性性の美学を、
わたしは学んでいる道の途中だ。


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