女性性を癒す旅
なぜだろう。
女性性、女神、セクシャリィティーに触れると
こころが踊る。
女神性のエッセンスには
たしかに私が生まれてきた
なにかがあると
魂でわかる。
夫が余命あと一カ月です、
と宣告されたとき
私はどこかでほっとしていた。
彼の魂が、
生よりも死を選んだことを
ずっと感じていたし
いつまで続くかわからない
介護の日々にも疲れていた。
夫は、いつも私の手を握ってはなさなかった。
温かい彼の手がどんどん冷たくなっていく日々が
どうしようもなく哀しかった。
わたしの心は、分離していた。
くるしい、かなしい、せつない、こわい、
そして、………
はやく終わってほしい。
あれから三年以上経った今だから、
ようやくこの時の自分を受け入れられている。
(いちばん好きな女と結婚できた俺は、
しあわせだなあ)と、
わたしを宝物のように大事にしてくれていた彼。
わたしも彼を世界中で、いちばん愛してる。
わたしの最高の一部。
その彼が、向こう側に逝くことを決めたとき
私は彼の生き方を尊重したかった。
自由にしたかった。
わたしも自由になりたかった。
逝く者よりも、
残される者の方が苦しいことも
覚悟のうえだった。
(ここまで苦しむとは思わなかったけど)
あなたが選ぶのなら、
わたしはあなたを手放します。
自由にします。
わたしはあなたの生き方を尊重します。
愛とは、
自分がこうなって欲しい、
と思う姿に相手に望むのではなく
愛する人を自由にすること、
手放すこと、
本当の姿にもどすことなのだと
体感している。
この愛は、
全ての核なのではないだろうか。
地球は、
救うことが愛であり優しさ
という正義の概念があるけれど
私は、自分を救うことで
周りは勝手に救われていくのだと思う。
この軸を見失って
外が完璧なことを忘れて
頭で動くとき、
私達の女性性、女神性は傷ついていく。
死に逝くものを死へと誘い、
生きとしいけるものを自分の一部として尊重する。
生死、善悪の全てを自分の一部として
明らめて生きる。
たしか、人の生き血をすすっている女神がいたが
わたしも夫の生き血をすすって生かされているのだから、
どんな自分も偽りなく生きたい。
女性性を救う旅路に終わりはない。