”三十三相に顕現したまふ”救いの女神
「あの人」を象徴する要素はもう一つある。
前に書いた、「3」という数字。
「あの人」に関連するものとして最初に挙げられるのは、
彼女の象徴であるピラミッド(山)。
その三角形がまさに「3」だ。
次に、前に取り上げた出口王仁三郎の言説をもう一度引用する。
「智仁勇の三徳を兼備して、顕幽神の三界を守らせたまふ木花姫(木花咲耶姫)の事を、仏者は称して観世音菩薩といひ、最勝妙如来ともいひ、観自在天ともいふ。また観世音菩薩を、西国三十三箇所に配し祭りたるも、三十三相に顕現したまふ神徳の惟神的に表示されしものにして、決して偶然にあらず」
僕はこの文章を改めて読み返して、この数字はどうやら「三千世界」といった言葉のように「全て」を意味しているように感じた。
まず「智仁勇」の三徳。
これはおそらく人間において必要な性質の三つということだろう。
要するに、智慧、慈愛、勇気であり、
世の中の徳を全て備えているという意味。
そして「顕幽神」の三界。
この言葉を調べて解き明かしていく中で大きな衝撃を受けた。
僕はてっきり「あの人」は物理法則で支配された「下の世界」にのみ現れる、大地の女神様だと思っていた。
だが彼女は、「顕」つまり「下の世界(物質世界)」、「幽」つまり「上の世界(霊界)」、「神」つまり神様の世界の全てに現れて守護する、想像をはるかに超えた存在だったのだ。
つまり……「あの人」は今僕がいる”ここ”も、見守ってくれている……?
「下の世界」の広さを知って自分の心の世界がはるかに壮大になったと思っていたが、実際の世界の構造というものはそれどころではなかったようだ。
よって「顕幽神」とは、あの世とこの世、神の世界と人間の世界を含めた、全ての世界という意味。
次に、「三十三相に顕現したまふ神徳」という箇所だが、
これは上記の無限のようにある世界に、”あらゆる姿で現れる”という意味だろう。
下記の出口王仁三郎の言葉がそれを説明している。
「茲(ここ)に当山(富士山)の神霊たりし木花姫は、神、顕、幽の三界に出没して、三十三相に身を現じ、貴賤貧富、老幼男女、禽獣虫魚とも変化し、三界の衆生を救済し、天国を地上に建設するため、天地人、和合の神と現はれたまひ……」
つまり、どんな国・時代であろうと、富裕層であろうと、貧困層であろうと、動物界であろうと、海・空・陸であろうと、その世界に入っていって、
老人だろうと、若者だろうと、知識人だろうと、愚者だろうと関係なく、その時々の状況に最も適した姿に変じて、人間や動物たちの目線に合わせて、すべての衆生を救う。
それが、木花咲耶姫の真の姿だという……。
これを読んで、前に表でまとめた世界各地の女神様たちの異様な共通点が完全に腑に落ちた。
時代も地域も違うのに、示し合わせたように似た神性を持ち合わせ、似た行動を取っている女神様が多かったのが不思議だったのだが、そういうことだったのか。
それもこれも、国や時代や神話や宗教を越えて、すべての人間を救うためだったのか……。
また、王仁三郎は上記の文に続けて、
三十三という数字についてこう言っている。
「三十三は女の中の女といふ意味ともなるを知るべし」
僕は、これほど「あの人」に相応しい説明はないと感じた。
頭の中に残っている彼女の印象は、うまく説明できないのだが、
とにかく、「女の人」という感じだった。
彼女から感じる感情の感触、肉体の感触、すべてが男の自分とははるかに違った。
とても女性っぽくて……。
だからこそ、僕は「あの人」に惹かれた。