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「30代フリーター」から始まるアスリートの引退後・セカンドキャリアについて

アスリートの引退後・セカンドキャリアはたびたび話題になる。引退した人はみな、コメンテーターや監督になっているような錯覚に陥るのは、メディアで取り上げられるのがそういう人のみだからである。実際には本当にごく一部の宝くじを当ててしまったような人だけである。(それでも騙されたり、破産する人が多い傾向のようだが)。

大多数の他の人たちはどうなるのだろうか?見ていこう。

「スキル」を生かす

アスリートが日々の練習で身に着けたスキルを活かす場合、主に肉体的なものになる。身体能力を鍛えているのだから、当然といえば当然である。

Uber Eatsの配達員になる場合、例えばスポーツ選手を30代で引退したとしても、あと30-40年はUber Eatsか、その後出てくるようなサービスの配達員の仕事を続けることが出来る、という貴重なスキルが手に入る。

バットを握るスキルや足腰を活かして、駅前のパチンコ屋の宣伝看板を握って立つアルバイトを行うスキルが身につく。

ボールを拾ってリングにシュートするスキルを活かして、毎朝決まった位置に集められているポリ袋を収集車にシュートする仕事に生きる。

格闘技で身体を鍛えている場合、警備の仕事と非常に相性が良い。段ボールを運ぶ仕事や重い荷物を運ぶ仕事も適任であろう。

弓で的を射るスキルや剣で人を刺すスキルは、銃刀法で禁止されているが、鍛えた身体の方は警備員と同様に使えるであろう。

他にもいろいろ生きる面はある。マラソンなどの持久力が必要なスポーツの場合は、飛脚や人力車のバイトにも生きる。最寄り駅まで走ることにより、バス代を節約もできるかもしれない。

しかし、どれも基本的には非正規雇用である。

アスリートは有期雇用・非正規雇用と相性がいい

アスリートは、各大会に出場する際に、その都度出場する代表選手の選考がされる。スポンサーも年契約などの契約制である。企業の雇用形態での対応関係を考えると、非正規雇用である。分野外へのスキルの転用も難しい。

傾向として安定よりも自由が利く非正規雇用が好きなのか、肉体労働は非正規労働ばかりなのか、理由は定かではないが、アスリートと非正規雇用と非常に相性がいい。

「突き抜ける力」の応用に必要な前提条件

アスリートや関係者は「いやそういう非正規の仕事ではなくて・・・。」と感じていることだろう。アスリートの「一心に頑張る力」は何にでも通用するはずだ。

これに関しては指摘のとおりである。一心に頑張る力や、深める力は他の分野にも大きく生きる。しかし、これには重大な前提条件がある。一言で言うと頭脳である。ある程度は頭が良くないとこのような抽象的な能力の応用は出来ない。そして学業と頭脳は高い相関関係にある。そして人間の客観的な評価はそのような属性によるシグナリングと先入観が大きいために、スポーツしか出来ないと思われている限りチャンスすら回ってこない。「勉強が出来たって、頭が悪い人もいる」とすぐに言い出す方は、おそらく統計的な見方が全くできないのではないだろうか。

勿論起業をしてもいいが、これもそんなに甘くない。さらに設立支援の詐欺なども巧みによってくる。

よって、客寄せパンダ枠に入れなく、かつ突き抜ける力が使えない限り、引退した選手は、以下に示す状態と、ほぼ同等になる。

「30代フリーター」から始まる

何歳で引退するかにもよるが、例えば35歳で競技生活を引退したとしよう。その場合どのような状況になるのか。おそらく比較対象になりやすいものとしては「フリーター」があげられる。具体的には、以下のサイトにあるような30代フリータ―から始まると考えればわかりやすい。

ましては今は就職の市場が盛り上がっており、20代のフリーターから正社員の就職が活況で、企業側もいくらでも20代の若者を採用することができます。そのような環境で社会人経験がない30代のフリーターを雇うメリットが企業側にはほとんどないのです。

30代フリーターがそのまま行くと、40代フリーター・50代フリーターへと歩んでいく。

40代になると、体力も衰えてきてアルバイトでも選べる仕事が減ってきます。友人たちとも疎遠になり結婚も難しくなってきて苦しい時期を迎えていきます。
50代のフリーターはもう選択の余地がなくなります。体力的にも限界を迎え、本当に苦しい人生になってしまいます。

結構前から言われていた様子

メダリストでも苦戦するのが現実の様子で、これは結構前からの様子である。

周囲の人からは『あそこの人、何やってるの?』っていう感じで見られていました。『テコンドーです』って言っても分からないから、説明すら面倒くさくて(笑)。他の人から見たらスポーツ選手じゃなくて、ただのフリーターなんですよ。


日本人は「頑張っている」が好き

上記の客観的な事実を受け入れられない選手と、それをかわいそうだと思う視聴者がいる。なぜ、アスリートは引退後、30代フリータ―待遇では問題であると感じるのであろうか?

様々なものを犠牲にして一生懸命に一心にスポーツに取り組むために何年も「頑張ってきた」。場合によっては世界大会でも結果を出した。それなのに報われないというのが可哀そう、人生で今までに何も頑張ってこなかったようなニートやフリーターと同等の扱いというのは報われない、ということなのであろう。日本人は努力教言っても過言ではないほどに、何を頑張るかよりも、努力と頑張るという行為自体が大好きである。無駄な努力も肯定されがちである。

しかし、心のスイッチを切って客観的に考えると、身体能力という30代には確実に衰えることに全リソースを投資するのは、暴落することが分かっている株に全財産をつぎ込むのと大差ない。

スポーツで頑張ったとしても、「客寄せパンダ」の枠に入らない限り、世界大会に出たとしても「ゲームをやり込んでレベルを99にしました!」と変わらない。自己満足の延長である。

解決方法は自衛

現状のスポーツ業界の構造として、選手はひたすら使い捨てることが最適解になっている。監督やコーチは次から次へと出てくる選手を撃ったら自動で装填される弾丸のように使い、引退したらハイさよなら。その後は知ったことではない仕組みになっている。気持ちは違うとしても、構造はこうすることが最適な状態である。

むしろメディアは、一旦活躍した選手が、後々の落ちぶれるほうが「あの人は今」と悲惨な例として使うことが出来るから、より落ちぶれてほしいとすら思っているかもしれない。

よって周りの方々の言いなりになっていると、30代フリータ―路線まっしぐらである。

解決方法としては自衛をするしかない。周りの人たちは基本的にあなたを使い捨てにしようとしている。気持ちの上では違うのかもしれないが、仕組みとしてはそうなっている。だから「このまま行くとヤバい」とは教えにくい構造になっている。

自衛するしかない。職歴を積もう。勉強をしよう。

それでも逆境でこそ真価が問われる。頑張れアスリート。


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