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#13どうして学校で100点を取らないといけないの?子育てを”識学”で考えたら社会の厳しさを伝える必要性に気づいた話

9月から受け始めた識学が、子育てにも役に立ちそうだな、と思い、自分自身の理解を深めるためにもこれから毎回識学を受講し終わるまで記事にしてみることにしました。
第13回は「自意設定と他意設定」です。いよいよ、最終回の今回は目的や目標のパートになります。

自意設定と他意設定

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識学では、目標には「自意設定」の目標と、「他意設定」の目標があると定義しています。
文字の通り、自意設定とは自分で設定する目標です。毎日朝6時に起きよう、とか、毎日3キロは走ろう、といったものです。一方で他意設定とは、他人が設定する目標のことです。会社組織の中で言えば、個人が持つ売上目標などがこれにあたります。

識学では、自意設定の目標は、必ず他意設定の目標の中に包含されることが望ましいとしています。これはどういうことか、例えばチームスポーツを例に考えてみましょう。

野球選手は、ポジションが与えられ、そのポジションに対してコーチや監督から目標が設定されていますよね。打率をこれだけ改善するとか、今期は勝率◯割目指す、などです。
これは全て他意設定の目標です。それに対して、自意設定の目標が他意設定の目標に内包される、という状態は、例えば打率を○○%改善するという他意設定に対して、毎日改善に向けて○○する、という形で設定することです。野球選手として、そのチームで報酬をもらう以上は、このように自意設定の目標がしっかりと他意設定の目標に内包されていないと評価はされないですよね。

ただ、とはいえ自意設定の目標は本来は自分が決めるものですから、非常に範囲が広く、自由に設定できるものでもあります。
でも仮に、自意設定の目標が、他意設定の目標に全く内包されていなかったらどうなるのでしょうか?

例えば極端な例ですが、野球選手が、サッカーチームでかっこよくゴールを決める、という自意設定を掲げていたらどうでしょう?どんなにかっこよくサッカーチームでゴールを決めても、所属する野球チームでの報酬には繋がらないですよね。
もちろん、趣味としてやる分には良いと思いますし、体力をつける、瞬発性を磨くなど、共通して磨けるスキルもあるかもしれません。でも少なくともいくらサッカーでゴールを決めても、自分の報酬には繋がらないわけです。
極端な例すぎると思うかもしれませんが、本質的なところに立ち返れば、これは全てのコミュニティ、組織において共通原理なはずです。つまり、その組織やコミュニティーに属す限り、前提として、他意設定があり、その上で自意設定の目標が位置する必要があるのです。

学校で100点を取りなさい、が間違っていない理由

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これを子育てに置き換えると、実は子供に対してとりあえず学校のテストで100点を目指しなさい、という子育てが決して間違っていないことに気づくんです。なぜなら、子どもは学校というコミュニティーに所属する以上、学校で求められる他意設定に対して自意設定を置くことが必要だからです。

もちろん、勉強が全てではないですし世の中で活躍する人の中には、学校では全くよい結果が残せなかった、と言う人も少なくありません。でも彼らがなぜ今活躍しているのか、ぜひ考えてみてください。その過程を辿れば、結局は学校から社会に飛び出し、より厳しい環境の中で、他意設定と自意設定が重なる場所を、苦悩しながら探した結果が、今の成果になっているはずです。

そう考えると、親としてはどこでその他意設定と自意設定の概念を体得させ実践させるか、ということになりますよね。そして、そのためにまずは一番身近な学校というコミュニティーとで自意設定を考えさせ、どうしたら自分はここで成果を出せるのか、を考えさせることが最も近道であることに気づくはずです。

「自分らしく」の誤解

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最近、個人の時代と言われるようになったこともあり、「自分がどうなりたいかを考える」「なりたい自分になる」という言葉がよく飛び交っています。もちろん自分の夢や理想を掲げることは非常に重要ですし、そういうものがあって初めて、目の前の目標が決まる、ということはあります。
でも、そう言って起業して成功した人や、個人で活躍している人たちの「自分らしさ」という自意設定は、大前提として必ず他意設定の上に成立しているはずです。会社という組織の中でブランディングを作り売上に貢献していたり、社会の中で新しいサービスを生み出し市場を作り出すことで資本市場に貢献していたりしますよね。

これらは全て、会社や社会という大きな仕組みの中で設定された他意設定の上に、自分のブランディングを作りたい、新しいサービスで世の中を変えたい、という自意設定の目標を重ねているはずです。
決して、売上は1ミリも上がらないけど、新しいサービス作りたかったから作った、でもこれが自分らしいからこれでいいのです、という人がどんなに自分らしく!と言っても、その言葉には誰も興味はないはずです。

つまりそこには、本当にこれで今の自分は社会の役に立てるのか?と自らが設定した自意設定に対して、問い続けることの重要性が込められているとは思いませんか?

夢と希望を子どもに持たせることはとても親として大事な役割です。
でも、同時に、本当にそれを叶えたいなら、まずは今いる組織やコミュニティの中で、他意設定の目標を達成することの大切さを教えられるのも親だからできることなんですよね。
社会の厳しさを教えていくことこそ、子育てにおいて一番大事なことなのではないかと感じました。

私も9月から受講した識学が、これでいよいよ最終回となり、今回で子育てと識学は終わりになります。子育てを通じて識学をお伝えしてきたわけですが、一番自分が親としての責任について考え、そして非常に学びの多い時間でした。そして同時に、識学は組織のマネジメントの理論ですが、子育ても含めて、どんなコミュニティに対しても普遍的な原理原則であることを、子供の成長を通じて見せつけられた気もしました笑

みなさんはいかがでしたか?!
個人的には識学で子育てを実践して、子育てがはるかに楽になったことばかりだったので、もっともっとお伝えしていきたいなと思っています。そしてもっと実践してくれる人が増えたり、取り上げられなかった他のテーマについても書いていきたいなぁと思っています。続編をぜひおたのしみにしていてくださいねー!!

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