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ツールと完成物は非リンク


誰でも作れるグラフィックデザインという意味では、canvaの台頭が凄まじいですね。(少なくともわたしの周囲ではそうです)
canvaがデザインというものをとても身近にしたなと思う昨今。デザイン業界にいるわけではない一般の人が、普通に見映えのするものを作っています。
それで複雑な気持ちになる時もあるのですが、このcanvaに限らずプロにわざわざ頼まなくても、大抵のものは自分でデザインできる時代になったのですよね。


それでもわたしが感じているのは、言葉を選ばずにハッキリと言えば、ツールの問題じゃないなということ。
ツールが良ければ、いいものが作れるというわけじゃない。
例えば写真を撮るにあたって、高額な良いカメラを使えばもれなくセンスのいい写真が撮れるわけではないように。


結局決め手となるのは、これらだと思うんです。
自分のセンスと表現力。
引き出しの中身と充実度。


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canvaのようなソフトを利用することにより、自分の表現が楽しくなるというのはその通りだと思います。ですが、有料のソフトだってそれは同じことで。

イメージの具現化を助け、よりプロフェッショナルな仕上がりに近づけてくれるのがcanvaやPhotoshopのようなソフト。それは間違いない。ただしそれらは無条件にデザイン力を上げてくれたり、センスを磨いてくれるものではないということ。あくまでツールなんですよね。

優れた料理人が冷蔵庫にあるものだけでレシピを考案し、実際に美味しいものを作れるように、出来る人は何であれ、いいものを作るのです。どんなに鈍いパソコンを使っても、素敵なものを完成させられるのです。
たとえフリーのソフトだろうがスマホのカメラだろうが殴り書きのメモであろうが、何かを感じさせる人には必ずその片鱗が顕れる。本人の意図に関わらず。

そういった片鱗を偶然発見できた時、わたしはとてもうれしくなる。
素敵だ!なんて感性だ!と一人でほくほくしてしまう。そして、陰ながら応援してしまう。これはある種の病気と言ってもいい。


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もちろん、ツールがいいに越したことはない。それは当然のことだ。
ストレスは減るし、より早くキレイに仕上がるし、表現の幅だって増える。
だけどそれよりわたしが大事だと思うことは、もっともっと長い時間に関わることだ。少なくとも、汎用性や手っ取り早さの中にそれはない。その人が今まで積み上げてきた時間の中にこそ、それはあると思っている。一朝一夕レベルの話ではない。
これまでの人生の事象に対して心がどのように動き、どのように物事を捉え、どのように感じてきたか。自分の中にそれをどう仕舞ってきたか。何を捨てて、何を拾ってきたか。その積み重ねが顕現するものこそが大事なんだ。



この人はそれをちゃんと見つめてきた人ではないかと感じた時、わたしの鼻はぴくりと動くのです。







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吉原 紅
ありがたく生命維持活動に使わせていただきます💋