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ニッチな合致

わたしはこのnoteとは別にブログを毎日書いているのだが、だからブログは侮れないんだよな。今そう再確認している。

日々何かしらの形で自己表現を続けていると、やがてそこに共鳴してくれる人が現れる。その登場回数や頻度に関してはブログが持つ力にも因るが、本人と読み手の思想や感性に因ることも大いにある。

その自己表現が正直なその人となりを現せば現すほど、共鳴の密度は高まる。
狭く、深く、濃く。
人に好まれる内容を表現した場合は広く対象が掴まるが、深度で掴むとなると、話は全く別モノだったりして。

そのことを改めて、面白いなと思った。


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直接会って言葉を交わさずとも自分の思想や価値観を真摯に表現していれば、実際会ったとしても多くの情報を必要としない。(嘘八百を表現してたり、偽キャラを演じている場合は除いて)それがそのまま、既に読み手への力添えとなっているはずだから。
さらに好ましいことは、表現そのものがふるいと化すこと。そのふるいにしっかりと色を付ければ、それに相応しいものだけが自然と残ってくれる。
わたしは今、これを楽しんでいる。まるで遊びの如く。この色付けを厳密にやればやるほど、好ましいことが起きるのだもの。




その結果何が起きたって?
ニッチな合致です。

これに関しては改めて、自分の最初のピン!の精度を感じずにはいられない。
これは!と感じた人。それはわたしにとって常に、正解でしかないのです。
この正解の正解さたるやもう、仕留めっぷりが確実すぎて我ながらたまらんね。

その人がどんな過去を持っていようが、今現在どれだけダメ人間だろうが罪を重ねていようが、わたしの針にはカスリ傷一つ負わせられない。
逆に、どれだけ富豪で年収いくらで何処そこの取締役でナントカ学校卒なんてことに対しても、この針は無反応。
振動の決め手はわたしにしか分からないことだし、説明する気もない。そもそも言葉にはならないことだから。




なんて面白い遊びなのかしら。


だから表現は止められんのよ。







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吉原 紅
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