平常運転再開
未だ閑散の東京駅だ。今日、三ヶ月間離れて暮らしていた息子が戻ってくる。このウィルス騒動で休校となっている間、わたしは彼を別居中の夫の元に行かせていた。いよいよ明日から学校も再開となるため、わたしの元に帰ってくるのだ。
この三ヶ月間は本当にラクだった。それはもちろん、一人暮らしができていたからだ。子供のための食事の用意をする必要もなかったし、学校にまつわるアレコレを考えずにいられたのは、実にイージーでレイジーな生活だった。
彼が生まれてこの方、こんなに長く離れて暮らしたことはなかった。全く問題はなかった。現在思春期真っ只中な上に、類に漏れず厨二病を抱える男子である。親子のスキンシップは勿論減ったが、そのぶん手もかからなくなった。とは言え、まさに食べ盛りの年頃である。これからわたしは毎日彼のために米を炊き、食事を用意することになるのだ。今までラクをしていた分、わずかな緊張感が走るのは気のせいか。ああ、いよいよ前の生活に戻るのだな。わたしの一人暮らしもこれで終わりか。幾ばくどころではないこの寂寥感こそ、気のせいではない。
とはいえ、天から授かった大事な息子だ。この愚かな両親の元、真っ直ぐ健康に育ってくれたことにはただ感謝しかない。だからこそわたしは、彼に多くを望んではいない。
親であるわたしが彼にできることは、彼の人生の邪魔をしないことだと思っている。このことは、ずっと抱いてきた考えだ。たとえ親子であっても、子供は全く別の人間であるという考え。そこの塩梅に関しては、世間一般の親御さんに比べればかなりドライな方だという自覚もある。
つくづく、わたしから生まれてきたのは男子で良かった。これは多くの人が口を揃えてわたしに言う定番フレーズだが、「(子供の性別)男の子でしょ?」
この質問の根にあるわたしへのイメージが何なのか分からないが、その通りだ、わたしに女子は育てられない。自分でも心底そう思う。わたしに似たわたしみたいな面倒な娘を育てるなんて、考えただけでも眩暈がする。
わたしの肉体から出てきた一人の男子が東京駅に着くのはもう間もなくだ。
早いものだな。何もかもが。