影と光、陰と陽、静と動
最近、ソルフェジオ周波数というのをよく聴いている。
詳しくは知らないのだが、ソルフェジオ周波数にはいくつかの段階に分けられたヘルツがあり、中には怖れや不安を手放すものや、細胞の修復が望めるものなどがあるらしい。
わたしはよく知らないまま何となく良さそうな528Hzのものを選んで、朝起きたときや作業中にただ流している。528Hzには、DNA修復効果があるらしい。ゆえに細胞を若返らせるとも言われているようだ。(YouTubeに複数音源が上がっているので、ご興味ある方はお試しあれ)
わたしはこのご時世でなくとも元々がインドア体質なので、家にいると何らかのサウンドを流していることが多い。外出するときも大抵、Bluetoothのワイヤレスイヤホンを突っ込む。外の世界の不要なノイズを耳に入れるくらいなら、好きな音楽を聞いていたい。高機能なノイズキャンセリングのヘッドフォンやイヤホンには、ずっと憧れを抱いている。
一歩外に出れば、それほどまでに世間は騒がしい。耳に入れたくないものが多過ぎる。だが、聴覚に関するものならある程度の裁量は可能だ。そう思ってわたしはイヤホンを利用している。
瞑想を習慣にしているわけではないが、瞑想時にこういったソルフェジオのようなサウンドがあると、内に入りやすくなる。耳を澄ませることに意識が集中するからだ。それによって、煩い思考が黙るからだ。
こういう状態に入りやすい場と言えば、わたしにとっては海も欠かせない。
波の音とリズム。耳を済ませるほどに心地良くなる。波のリズムは呼吸。音は胎内音。寄せては返す陰陽。海への畏敬の念は尽きない。
話が逸れた。
基本ロック好きだが、時には癒しのサウンドもいい。
行動が難しいと人は言うが、休んで止まることも十分に難しい。
人は活動している間、生きている実感と喜びを感じやすい生き物である。反面、休むことには罪悪感を覚える。止まることには怖れを抱く。
月並みだが、両者のバランスなのだ。
寄せてきた波が引っ込みどころを熟知しているように、ONやPUSHやACTIVEだけに称賛が与えられるべきではない。OFFにもPULLにもPASSIVEにも同等の存在価値があるのだ。
そのバランスを取らせるために、動きすぎた人には立ち止まる切掛を与えられる。動いてこなかった人には立ち上がる機会が与えられる。華やかな人生を送れば、その分の影もきちんと与えられる。人生をひとつの作品と見做して初めて、計算されたかのような完璧なバランスが見出されるのかもしれない。
これを神の完璧な仕業だとすれば、それは一枚の美しい絵画のようだ。