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【短編小説】非通知の電話2

オレたちは蔦の絡まるレトロな名曲喫茶で再会した。
学生時代、授業が終わると決まってこの喫茶店一杯のコーヒーでどうでもいいことをウダウダと喋ったものだ。
当時インベーダーゲームというゲームが大流行していて、どの喫茶店にもこの固定画面シューティングゲームが各テーブルに備え付けられていたものだ。
テーブルにうず高く積み上げられた100円玉がまるで時代を写したバブルの塔のように見え、そして自分のテリトリーを確保した証のように若者たちはこのアホなゲーム(自分にはそう見えた)に熱狂した。
あまりに強くレバーを引っ張るものだから腱鞘炎を起こし、湿布を包帯で巻きながら連日このゲームに熱中した。
それは世の中から100円玉が消えたと言われるほどの社会現象になったのだ。

この名曲喫茶も例外ではなく隅にインベーダーゲームが設置された席があった。そう、ストラビンスキーやシェーンベルクをBGMとして聴きながらゲームをやるという世界がそこにあった。

世の中が熱狂すればするほど冷めてしまう、流行り物に乗っかったりするのが大嫌いな性格のオレは取り憑かれたようにレバーを操作する友人を、酔っ払いが吐き出した汚物を見るような目つきで見ていたものだ。
そんなことでさえ懐かしく思える気持ちが、この店の空気感に触れた一瞬で蘇ってきた。

当たり前だが今ではそんなゲームなどない席で研二は座っていた。
彼はあの時と同じように脇目も振らず一心不乱に今度はスマホを見ていた。
オレが入ってきたことにも全く気づいていない。

そっと後ろから画面を覗いてみるとそこには今風にグラフィック処理されたキャラクターが飛び回るスマホゲームがあった。
「こいつは相変わらずだな。多分死ぬまで、いや死んでもこの調子なんだろうな」と思いつつ肩をポンと叩いて言った。「久しぶり!!」
研二は白日夢から覚めたようにオレを見上げバツが悪そうな愛想笑いを浮かべて言った。
「ああ、ごめん。気がつかなかったよ」

オレは座ってウインナーコーヒーを注文した。
豊潤な香りのする純喫茶のコーヒーは当時と変わらず美味い。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、それら五感の中でも「聴、味、臭」つまりその時聴いていた音楽、食べていたもの、その時の風の匂いに触れると当時の光景が鮮やかに蘇ってくる。
この時もその懐かしさに浸ってコーヒーを飲んでいたが、多少老けて前髪がずいぶん後退した研二の顔を見るとこの現実に引き戻された。
「ところでこいつは一体何のためにオレを呼び出したんだろう」
そんなオレの警戒心を解くように、研二は当時の思い出から最近のテレビのゴシップ話、薄っぺらい政権批判など、中身のないどうでもいい昔話を話し始めた。
よくそんなことを覚えているな、と感心しながら聞いていたがカザルスの「バッハ無伴奏チェロ組曲第一番」がかかったので彼の話は全く耳に入ってこなくなった。
あたりまえだ。

ところでネットワークビジネスや新興宗教の勧誘は相手を安心させるために、最初はどうでも良い話をして油断させ警戒を解くのが常套手段だと聴いたことがある。
これも同じ手口なのか。

過去はいつだってぼんやりしている。記憶の中に薄い膜が覆いかぶさっているようだ。
そんな楽しいことも酷いこともあったのかな、それは本当に自分の身の上に起こったのかなと研二の話を聴きながらあっという間に時間が過ぎた。
目の前のコーヒーを飲み干して唐突に研二は言った。
「今日は楽しかったよ、これからまたあの時のように話そうよ」
と再会を突然強制終了させた。
オレの期待と不安は打ち消され「そうだね」と答えた。
まあ、もう会うことはないだろうな。これだったらネットワークビジネスの話を聞かされたほうがまだ面白かったかもしれない。
オレは先に店を出るため立ち上がってレジのところで振り返って見ると研二はまたスマホを取り出しゲームを始めたようだ。
その時オレの背中に何かとてつもない黒く冷たいものが覆いかぶさり動けなくなった。
店内には圧倒的な音量でホロヴィッツの「月光」が流れていた。

(続く)


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