短編小説:オレに構わないでくれ(2) Clifford Brown- Stardust
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弁護士のキツツキと別れてカフェを出たオレは街をとぼとぼと歩いた。
人は思ってもみなかったことが突然起こるとそれが良い事であろうが悪い事であろうが「いつもどおりのこと」をしたがるものだ。それ以前の生活を維持するための引力が働いてコンサバティブになる。
オレはいつもどおりバーGrooveに行って酒を飲むことにした。
地下一階、地上2階建ての地下にある狭い階段を降りたところにあるGrooveはちょっとしたライブができるほどのスペースがあるジャズクラブで今日は緊急事態宣言が解除されたせいか平日にも関わらずそこそこ混んでいた。
オレはセロニアス・モンクがピアノを弾いているモノクロの写真が飾られている側の席でワインを注文した。他にもソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ、フェリーニが映画8,2/1の撮影の合間だろう談笑しているオフショット。他にもマイク・ニコルズ監督の「卒業」の中でダスティン・ホフマンとアン・バンクロフトがベッドインするときのショット、アン・バンクロフトはタバコを燻らせているからこのシーンがOKになった後だろうか。それにしては二人ともひどく不機嫌な顔をしているのはなぜだろう。他にもマイルス・デイビスの傍にいるとジュリエット・グレコ、ビル・エバンスが姪のデビーと一緒に遊んでいるショットなど貴重な写真ばかりだ。
この店には超がつく著名なアーティストが普通に酒を飲んでいることが多い。
この日も女性ソウルシンガーのMや今最も注目されている俳優のS。
その他にも売れっ子のモデル、著名な画家、天才建築家、小説家、各々が隠しきれない圧倒的なオーラを漂わせているが反発することなくむしろ化学反応が起きているような不思議な空気を醸し出している。
このスペースは会員制ではないが、アートにも音楽にも才能も興味もなく運もない「普通の」生き物はいない。
ここにははっきりとしたヒエラルキーが存在していて、この場に相応しくない奴は排除される。と言っても叩き出されるわけではなく自然淘汰される。バブルの頃に六本木あたりに見かけたこんな店はがまだあるんだ。
そんな所になぜオレがいられるのか。もうよく覚えていないが10代後半から20代にかけて売れっ子モデルだったオレは世の中にかなり名が知られている存在だったんだ。ある音楽プロデューサーにここに連れて来てもらったのが最初だったと思うが、あれからもう20年ほど経っている。そして今でもここの通っている。オレは誰でも知っているCMやドラマ、映画にも出演してたし今では絶滅危惧種になったトーク番組も持っていたオレは今でもマスクを外せばすぐ顔がばれるだろう。このコロナ禍、誰もがマスクをつけるのがデフォルトになった時代に感謝している。
今も若いシンガーのプロデュースを手がけているので業界の知り合いは多いし若い人でもオレの顔を見ればわかるだろう。だがそんなことはどうでもいい。
有名、無名に関わらずここで人の目障りになるような奴はいない。あたりまえだ。誰だって普通に過ごす時間が欲しいだけだ。普通の奴らに限って著名人がいつところで目障りな行動をするものだ。すぐにスマホを取り出して写真を撮りまくる。まるで昔からの友人のような顔をして話しかけてくる。そんな奴らはSNSでエセセレブを気取って限られたコミュニティーの中で持ち上げられて楽しんでいればいい。鬱陶しいことに最近ではそんな本当に普通の奴らが天才、論客と持ち上げられてあまりにも幼稚でどうでもいいことをYouTubeにアップして金を稼いでいる。
そんな世の中で外れの才能を持ったような人たちにとってここはリアルで貴重な空間だ。
オレはワインを飲みながら考え始めた。
「今、特に金に困ってるわかでもないが、この降って湧いたように手にした金をどうするか」
「とりあえず美味いものを食い、マンションの住宅ローン、銀行から受けている融資を完済させ、久しぶりにあの女を買いにいくか、、、」
以前は毎月床屋に行くように高級売春クラブで女を買っていたのだがコロナの流行もあって止めていたんだ。
「とにかくすべての仕事をキャンセルし、世界をめぐる旅にでも行ってみようか。考えたら随分長い間旅行にいってない。
そうだな、まずパリに行って若い頃住んでたスペインのグラナダに行こう、生ハムをつまみに白ワインでも飲んで、、、」
「その後ポルトガルから南下してモロッコ、アルジェリアに行き美味いものを食って、その後日本に帰って来るかどうかはわからないが、そうだグラナダに住んでもいいな」
オレは夕方のグラナダの街、あの狭い街の小径を思い出した。
「ああ、でもこのパンデミックの中で海外に旅行なんて行けないかもしれない。久しぶりの友達を集めてパーティーもできないな。
じゃ美味いものを食ってとりあえず貯金するか、、、」
考えれば考えるほど自分の器の小ささを感じたオレは絶望し始めた。金があることはもちろん悪いことじゃない。
突然大金を手にしたら」というワードで検索してみた。
人は身の丈に合わない金を手にすると余分な支出が増え結局金を失うことになるらしい。
高級外車、家など「他人との比較で満足が得られるもの」つまり「地位財」に比べ、愛情や健康など「他人に関係なくそれ自体に価値があるもの”」を非地位財とし一時的な幸せしか感じられない「地位財」に比べ「非地位財で得られる幸せ」は長続きするという研究結果があると言う経済学者の記事を読んでしまった。
他人との競争や見栄の張り合いのためにお金を使ったところで、それは「死に金」。いつまでたっても幸せにはなれないというわけだ。
愛情?幸せ?
それが大事なことなど誰でもわかっていることだ。大の大人がわざわざしたり顔で記事に書くことなのか?節々に説教めいた言葉のこの記事のライター。おまえは経済学者という名の新興宗教の教祖か?オレの一番嫌いなタイプの人間だ。
クリフォード・ブラウンの「Stardust」が流れてきた。トランペッターHが熱心に聴いている。
オレはジャズ好きなこともあって若い頃からHのファンだが、彼の音楽が素晴らしいのはもちろんでステージでの立ち姿が絵にならなければ圧倒的なオーラに包まれている。その生まれながらにしてそのエネルギー、オーラ持っていない人間は残念ながら人前で何か表現するのに値しない。
「久しぶりだね」Hが話しかけてくれた。
「お久しぶりです。今日本にいらしたんですね。」
「うん、先週マイアミで新作のレコーディングが終わったから帰ってきたんだ。でも来週またすぐにニューヨークに戻るよ。今のご時世、出入国手続きがいろいろ面倒なんだけどね」
彼は笑いながら気さくに答えてくれた。
「うん、この後ライブがあるからちょっと曲のイメージをしてたんだ。」
テーブルを見ると飲みかけのコーヒーがあるだけで酒は飲んでいない。
ライブの前、作品の制作途中ならば当然だ。「途中」は最もエネルギーがあふれる時だ。
「お忙しいですね。お身体に気をつけてください。」オレは勤めて余計なことを言わないように気をつけて喋った。Hの創作の邪魔をしたくなかったからだ。
「ありがとう。じゃ、またね」彼は気さくに話しかけてくれたがすでに眼は笑っていない。すでに演奏の中に意識が入っているのだろう。
トランペットケースを抱えて急ぎ足で階段を上り出ていった。
そんな姿をぼんやりとワインを飲みながらある日突然大金が入ってきたら彼ならどうするだろう。ここにいるオーラを放しまくっている彼らならどうするだろう。
酔いのせいもあったがそんなことを考えてしまった。
周りにはソウルシンガーのMやら天才建築家やらが静かに酒を飲んでいるがそんな問いなど全く寄せ付けない雰囲気、それは圧といった物とはまた別の何かがある。
だめだ、オレは今ここにいるべきじゃない。ワイン一杯でひどく酔っ払ったオレはこの場から逃げるように夕闇の街に出た。
スタイルの良い外国人の女が親しげにオレに声を掛ける。「お兄さん、マッサージどう_? 30分3000円だけ」
「うるさい! オレに構わないでくれ!!」と心の中で叫びながら小走りに歩く。
他にも緊急事態宣言が解除になったとはいえ世界的なパンデミックに怯え、逃げるように急いで家路につく人々がいる。早く帰ってコンビニで安い酒を買い動画サイトを見ながら自分だけの世界に入りたい。
Grooveにいた人たちはあんなにリラックスして楽しそうに談笑していたのに。
(続く)
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