短編小説:Stardust
オレは金色に染まる夕暮れの街を歩いていた。
夕暮れの街、、、なんて魅力的な響きだろう。昼と夜の狭間のこれから始まる夜に何かが起こるかもしれない。そんな魅力に満ちた響き。ごく短い時間の中で歩いている人々はみな何かに期待しているのかもしれない。幸せをこの街で感じ確認しあっているようにも見える。
幸せはふとした日常の中で感じる時が多い。自宅の居間で本を読んでいる時、パートナーと映画を見ながらワインを飲んでいる時、パートナーが運転する車の中でふと外の景色を見ている時。そしてパートナーとただ街を歩いている時も幸せを感じるものだ。それは一人で歩いていても同じだ。
オレは歩いているというよりもあてもなくただ彷徨っていたという言い方の方が正しいのかもしれない。
それはたぶんオレの中に「もしかしたら」というフレーズがなくなってしまったからだ。
「もしかしたら今まで経験したことのない全く別ジャンルの大きな仕事が入り、大金を得ることになるかもしれない。」
「同じ趣味の話題で美味しいワインを飲みながらいつまでも会話のキャッチボールができる優しい女と知り合えるかもしれない」
「もしかしたら偶然入った映画館でこれまでの人生をひっくり返されるようなショックを受ける名画に出会うかもしれない」
「もしかしたら20年前に買ったことをすっかり忘れていた株がとんでもない高値をつけています、と証券会社の営業から電話があるかもしれない。」
そんな起こるはずのない事を考えていると自己嫌悪に陥ってくる。もしかしたら宝くじで高額当選金が当たり悠々自適の生活ができるかもしれないと夢想しているのと同じだ。
オレにはこの5年の間、いや10年間何も起こっていない。
それでも新型コロナウィルスによる世界的なパンデミックが起きる前までは何かを変え、何か事を起こそうというモチベーションはあったと思う。
だが5回も発令された緊急事態宣言でオレの心はほぼ折れてしまった。自粛、自粛、自粛。。。何かやろうと思っても「自粛」の二文字でかき消されてしまう。
とにかく今は何もしないでおこう、という気持ちが先にたち何をやるにしても常に消極的になる。いつの間にか気力もフェイドアウトだ。ネガティブな気持ちもになる。
何も起こらない、起こる気配がない。「何かが起こる」よりも「何も起こっていない」方が精神的には大きなダメージがあるかもしれない。
「人間はどんなことにも耐えることができる。普通のことが続くことを除いては」
と言ったのはゲーテだったか。なんでオレはゲーテのフレーズなど思い出したんだろう。
新型コロナウィルスの感染拡大による自粛は足掛け2年以上になり人々の身体とメンタルを少しづつ少しづつ蝕んできた。気が付かないうちに何事においても悲観的に考えてしまう癖がついてしまった人は多い。それでもどうにかして前を向こうとしている人もいる。オレはこのままではいけない。このままではウィルスに完全敗北して廃人になるだけだ。
オレはショーウィンドウに映る自分の姿を見て姿勢を正した。
結末がわかりきった一日に抵抗をするかのように街を歩いた。
心のどこかに「もしかしたら」という感情を捨てきれないのかもしれない。とにかく「歩け」ば何かが得られるかもしれない。
碁盤の目のようなこの街を歩く。次の曲がり角を曲がればそこに何かが待っているかもしれない。
「もしかしたら」というフレーズと「やはりダメだ」というフレーズが交互にやってくる。
マスクはそんな自分を覆い隠すことができる便利なツールにもなった。自分を匿名化し自分の都合のいいように風景をトリミングして見ることができる。時には耳栓をして音も遮断した。そうすることによって自分の世界に入ることができた。
黒いマスクをし、耳栓をし、時には交差点で車にクラクションを鳴らされ歩く男など以前だったら110番通報されても文句は言えなかっただろう。
いまでは各々が自分好みのデザインでマスクをしている。マスクをしていないと逆に不審がられるぐらいだ。マスクをすることがデフォルトになったんだ。
マスクをして華やかなこの街を歩くと何か「希望」のようなものを持たせてくれる。
ほんの2~3週間前には新型コロナウィルスの感染者数が一桁台になり収束しつつあった東京に、別の変異ウィルスが現れあっという間に10,000人を超え、あわてた行政は蔓延防止措置を発令した。第一次緊急事態宣言が出された約2年前には東京の新規感染者は87人だったはずだ。つまり11,494%の増加という思わず計算をやり直したくなるような信じられない数字がニュースで流れた。それでも新たな変異ウィルスは感染しても重症化はしないし、現実として重症者は5人だ。つまり感染者数にはあまり意味はないという再生数稼ぎのYOUTUBERの動画に正常化バイアスをスパイスのようにふりかけ、居酒屋では中年サラリーマンがビールを酌み交わし、バーでは若者のグループがワイン片手になに食わぬ顔でダーツに興じ、外人グループはマスクなしで大騒ぎしていた。
カラオケボックスは10代のティーンエージャーで満室になり飛沫を思いっきり飛ばし合いながら歌っている。
年配のグループではバブル期を彷彿とさせるが如く「マイウェイ」をフランク・シナトラばりの情感たっぷりに歌っている。当たり前だがマスクなしだ。これまでの鬱屈とした気分を思いっきり晴らすかのような饗宴があちこちで繰り広げられている。
高級レストラン、高級デパート、サッカー場、ガード下横丁居酒屋、家電量販店、、、
あらゆるところに人が溢れこれまでに失われた時間を取り戻そうとしている。一度体験したら忘れられない30年前のバブル期の狂騒がまた来たと言わんばかりに当時ディスコのお立ち台で腰を振って暴れていた50過ぎのバブル崩れおばさん(すでに初老の域に届こうとしている)も毎日のようにエステに通い「わたし、まだまだこんなに若くてスタイルがいいのよ」アピールをSNSに写真を投稿し続けた。
オレはマスク越しにこの光景を見ながら、確かカミュの小説に似たような場面があったがあれ以上だなと思った。
「ただいま新たな変異株の感染が広がり第6波の渦中にあります。もはや日常レベルにはなく、これまでにない感染爆発を警戒すべき状況にあります。会食はお控えいただき、、、」
テレビ、ネットの動画配信では政治家、有識者、知事、学者といった連中が、ヒステリックになるのを必死で抑え努めてわざとらしい冷静な口調で警告している。
居酒屋の客はそんなニュースを横目で見ながら3杯目のビールを注文した。あいつらも裏では銀座のクラブで豪遊し、金が目当てのビッチ女と寿司屋に行って不倫しているのが、ネットで全て曝け出されているのになぜか本人は気づいていない。いまやワイドショー以下になった情報番組で引っ張りだこの扱いだ。コロナバブルでかなり儲けているはずだ。偶然自分に一生に一度のバブル的な出来事が起きた自称専門家は笑いを隠しきれない表情で連日テレビに出演している。
感染者急拡大?そんなのはニュースの中の出来事、映画の世界だ。オレたちはワクチンを2回も打った。副作用のつらさにのたうち回りながら耐えたのだからこれぐらいの遊びは許されていいはずだ。そもそも感染したとしても重症化はしない。
病床数が逼迫する? 感染者が落ち着いていた時期に偉いと言われている奴らは一体何をしていたんだ?
専門家もちょっと一息ついてカラオケでもしてたのか?それは喜劇だ。とでも言いたげに買い物を楽しんでいる。
街のイルミネーションはそんな彼らにスポットライトを当てている。そして専門家に対する怒り、あきれ顔も映し出してくれる。
家電量販店のテレビがニュースを流し出した。画面の片隅にあるワイプでは手話通訳者が今にも泣きそうな表情で訴えている。
オレはこの通訳者の表現力に感動した。その辺に劇団の芝居よりもパントマイムよりも遥かにレベルの高い見事な表現力。これはレベルの高いモダンアートだ。
一時的に収まったかのように見えたパンデミックはまた起きつつあり、あの絶望的な緊急事態宣言をまたやるかもしれないという絶望的でやるせない気持ちをこの手話通訳者は見事に表現している。
首相が医療関係者に感謝の気持ちを伝え、この先どうやっていくか話を進めている間、オレは通訳者ばかり見ていた。これからも気持ちをしっかりと前向きに保ち頑張っていきましょう、という飾り気のない素直な気持ちををその通訳者から感じ励まされた。
いろいろな思いが錯綜し不覚にも涙が溢れそうになってくる。夜の銀座を歩く人々の幸せな表情と相反する心のなかに巣食った不安を謙虚で前向きな気持ちに変えてくれる。
オレは顔のほとんどが隠れるマスク越しにこの風景をトリミングしていると、その幸せそうな光景になぜか微笑みたくなってくる。それは皮肉めいた嘲笑ではなくこの手話通訳者の気持ちが嬉しかった。
懐かしい女の気配が確かにそこにあった。
眼差し、体温、笑顔、香り、が小さな波になってこちらに優しく伝わって来た。
オレは幸せな気持ちになってくる。身体のどこかに眠っていた「記憶」が呼び起こされた。ショーウィンドウの灯りがスポットライトのようにその顔を映し出した。
「ああ、珠里だね。久しぶり」
女は嬉しそうにだが慎ましく微笑んだ。
「こんなところで会うとはね、びっくりした」
「そうね。」
控えめで美しい眼差し、肩まで伸びた美しい髪、微かに漂う香水、美しい唇、落ち着いた声のトーン、ベージュのコート。間違いない、珠里だ。
10年ほど前にオレたちはちょっとした行き違いで別れそのままフェイドアウトしてしまった。
よくあるケースと言えばそうかもしれない。その時は付き合うべき時期ではなかったのかな。ちょっとした言葉による誤解?思いやりのなさ?その時の精神状態に余裕がなかった?答えを探そうとすればどうにでも言える。嫌いになったわけじゃない。間違いなく愛していた。
縁がなかったんだ、と自分に言い聞かせ10年が過ぎた。そういえばちょうど今と同じような季節だったな。
女は一度終わった関係を二度と戻すことはないから、もう二度と会うことはないだろう。一生会うこともないだろう、オレはそう思って生きてきた。
「少し歩かない?」
「うん、喜んで」
記憶の中に生きる恋人同士は会わないほうがいい。過去は勝手に脚色され映画のような映像になって美化されるからだ。
だが珠里は間違いなく記憶の中のままの女だった。
「久しぶりね」珠里はいつも微笑みながら短く答える。この声のトーンは昔から変わっていない。この声のトーンが好きだった。
この珠里の一言は全ての行き違いや誤解を消し去ったようだ。通りに広がるイルミネーションはさっきのものとは別の灯り、別の輝きに見えた。
「なぜここにいたんだい?」
「特に理由はないの。でもこの辺はよく通るのよ」
「そうか、オレもここはよくぶらぶらしてる。銀座が好きなんだ」
「昔よく一緒に来たよね。私もここ好き。それに今まで何度もあなたを見かけたわ」
気がつかなかった。オレは目の前にある大切なものが目に入らないほど余裕がなかったのか。余計なものをトリミングして見ていたんだ。新たな運命を探そうとしながらおかしな道に迷い込んでいたんだ。幸せはすぐ手に届くところにあるのに。
「そうか、声をかけてくれればよかったのに」
「そうね。でもまた会えるはずと思ってたの。」
そうだ、予想のつかない偶然は楽しいものだ。
「そのレスター・ヤングのようなPorkpie Hat,、素敵ね」
珠里は嬉しそうに笑った。美しい顔だった。以前はこんな美しく笑うことはなかったな。オレはマスクを外し自分だけの独りよがりの世界から出ることができた。街に服冬の冷たい風にさえ文句を言う自分に別れを告げた。
どこまでも続いている歩道に描かれた幾何学的な模様をオレたちは幸せな気持ちで見ていた。まるで夜空に続いているようだ。
チャーリー・パーカーのStardustが流れている。銀座の街には古いジャズが似合う。そうだ、再会する前から流れていたんだ。耳栓のせいで気がつかなかったんだ。
チャーリー、ありがとう。君もドラッグさえやらなければ幸せになったはずだ。ジャズマンはドラッグをやり破滅的な人生を歩まなきゃならない、幸せなジャズマンにジャズはやれないなんていうのは馬鹿げた神話だよ。聴衆は神話や奇跡物語が好きだからな。君ほどの天才ならヘロインを欲しがるビッチの相手などしなくてすんだのに。チャーリー、君の音楽はたくさんの人の運命を変えた。君のアドリブは全く予想もつかない素晴らしいものだったけど、オレたちにも予想のつかないストーリーを作ってくれた。亡くなってからもう70年ちかくなるが君の音楽はオレと珠里の運命さえも変えたんだ。奇跡だ。君のアドリブのような、音楽のような奇跡だよ。
「きれいね」珠里は微笑んだ。もしかしたらオレたちは新たにやり直せるのかもしれない。いやきっとできるはずだ。
空に広がる無数の星、Stardust、二人は幸せな気持ちで見上げていた。
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